岩国城(読み)いわくにじょう

日本の城がわかる事典 「岩国城」の解説

いわくにじょう【岩国城】

山口県岩国市横山にあった山城(やまじろ)。錦川(にしきがわ)にのぞむ横山(標高300m)山上の城と、御土居(おどい)と称する居館からなる。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。毛利元就(もとなり)の孫にあたる吉川広家(きっかわひろいえ)は、関ヶ原の戦いの翌年1601年(慶長6)に岩国に赴任、築城を開始した。まず居館を築き、続いて1608年(慶長13)に城を完成させた。三重の天守がそびえる本丸を中心に二の丸、北の丸、水の手を造営、各曲輪(くるわ)の周囲に石垣をめぐらせた。ところが大坂の陣後の1615年(元和1)、幕府一国一城令により破却。以後、岩国城は城郭を持たない居館のみの城となり、山麓の御土居は政庁として明治維新まで存続した。1962年(昭和37)にコンクリートによる四重の復興天守が建てられた。現在、藩邸が置かれた御土居は吉香公園(きっこうこうえん)として整備されている。錦川に架かる5連のアーチ型木橋である錦帯橋(きんたいきょう)は、岩国城の城門橋である。JR山陽新幹線・山陽本線岩国駅からバス20分で錦帯橋下車、徒歩10分。◇横山城(よこやまじょう)ともいう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩国城」の意味・わかりやすい解説

岩国城
いわくにじょう

江戸期初頭の城。山口県岩国市横山の城山山上にある。別称横山城。関ヶ原の戦い後、防長2国に移封された毛利(もうり)氏の一族吉川広家(きっかわひろいえ)が1601年(慶長6)に起工し、08年に完成した山城(やまじろ)である。1615年(元和1)の元和(げんな)一国一城令によって破却された。城の麓(ふもと)、西、北、東を錦(にしき)川が流れ外濠(そとぼり)の役目をしており、領主の居館も麓にあった。1962年(昭和37)南蛮造とよばれる独特な形式をもつ天守閣が復興され観光客を集めている。

[小和田哲男]


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事典・日本の観光資源 「岩国城」の解説

岩国城

(山口県岩国市)
日本100名城指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報