日本歴史地名大系 「御土居」の解説
御土居
おどい
天正一九年(一五九一)、豊臣秀吉が築造した京廻りの土塁。全長五里二六町。「京廻ノ堤」「新堤」ともよばれた(時慶卿記・晴豊記・鹿苑日録)。平安京以来、京域を囲む塁として唯一のものである。
北は賀茂川右岸と
土居の建設計画は都市改造の一環として進められ、天正一八年末にはほぼ決定されたとみられる。既に市中の堀の埋立ても行われていた(上下京町々古書明細記)。土居築造の直接の担当者は前田玄以・細川幽斎・法橋紹巴の諸説(京都河原町末広町古記録・京内京外事)があるが、「鹿苑日録」や賀茂別雷神社文書等によれば、当時の京都所司代前田玄以が総括責任者であったことは確実で、ほかに「竹木之奉行」河原長右衛門の名もみえる。「京都町家旧事記」(内閣文庫蔵)は前田玄以の都市改造をめぐって、
と、彼が自分の宗派の日蓮宗の寺に洪水の恐れのない土地を与えたことを非難している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報