岩尻村(読み)いわじりむら

日本歴史地名大系 「岩尻村」の解説

岩尻村
いわじりむら

[現在地名]本吉町 九多丸くだまる三島みしま大谷おおや長根ながねくぼ滝根たきね寺谷てらがい直伝じきでん土樋下つちどいした後田うしろだおき寺沢てらさわ石川原いしかわら長畑ながはたけ道貫どうぬき菖蒲沢しようぶさわ野々下ののした洞沢ほらさわ

南は太平洋に面し、西は平磯ひらいそ村、北は松崎まつざき(現気仙沼市)、東は波路上はじかみ(現同上)に接し、村内を気仙けせん道が通る。かつては平磯村や波路上村・長磯ながいそ村・最知さいち村・岩月いわつき村・松崎(現気仙沼市)までを含み、当村がその中心で、大谷本郷といったが、村の上に岩倉という山があったので、これにより村名を付けたといわれる(安永風土記)

寛永三年(一六二六)の大町駿河宛の石母田大膳等の書状(石母田家文書)によれば、岩尻村のうちに山岡志摩の知行地があったことがわかる。


岩尻村
いわしりむら

[現在地名]菊水町岩尻

高野たかの村の西、北は志口永しくちなが村、西は久米野くめの村、南は米渡尾めどのお村と接する。近世は内田手永に属する。寛文九年(一六六九)の「一統志」に「岩尻 天神二所 清涯寺阿弥陀」とある。「国誌」には「大杉ト云小村アリ」と記し、「一書ニ坂口村臼木村等小村アリ」と注記する。宝暦一四年(一七六四)の下ケ名寄帳によると惣畝数二六町六反四畝余、高三四〇石七斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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