岩崎庄(読み)いわさきのしよう

日本歴史地名大系 「岩崎庄」の解説

岩崎庄
いわさきのしよう

現宇佐市岩崎を遺称地とし、庄域は同所字御供田ごくでんや隣接する出光いでみつ御供田などを含んでいた。宇佐宮領で庄鎮守は若宮八幡社(現岩崎神社)封戸ふべ郷の一部が庄園化したもので、それまで封郷に浮免形態で賦課されていたと考えられる宇佐宮の御供田が、鎌倉時代末期頃に当庄と豊後国国東くにさき来縄くなわ小野おの庄に指定されて成立したと推測される。宇佐宮斎会式(宇佐神宮文書)によると、宇佐宮大嘗会において当庄は饗料として宇佐宮に二〇束を納めていた。延文二年(一三五七)当庄正御供田大風損亡により御使の検見を受けており、このとき庄内恒弘つねひろ貞平さだひら弘行ひろゆき末宗すえむね清末きよすえ為重ためしげの六名で編成されていた(正平一二年九月日「岩崎庄正御供田検見注進状案」永弘文書)。同二一年一〇月一七日の永弘重輔注進状(同文書)でも庄内は前記六名編成で、正御供田五五束(分米二石七斗五升、束別五升)・厨家米五〇束(分米二石五斗、束別五升)・祭料九束(分米三斗六升、束別四升)・行稲二六束(分米七斗八升、束別三升)、合せて六石三斗九升が一名ごとに課せられていた。


岩崎庄
いわさきのしよう

遠賀おんが川・山田やまだ川の流域、現岩崎一帯にあった庄園。文永七年(一二七〇)三月日の宮清弥勒寺領注進抜書(石清水文書/鎌倉遺文一四)には宇佐弥勒寺領西宝塔院家庄として「石崎庄」がみえる。岩崎八幡宮に伝来していた嘉暦元年(一三二六)八月日付獅子頭銘(嘉穂郡誌)に「大宮司幸眼」とあるが、同様のものが現頴田かいた口原の彦穂くちのはらのひこほ神社にも伝来しており、鎌倉時代末期には口原が紀州高野山金剛三昧こんごうざんまい院を領家とする粥田かいた庄に含まれていたので、当庄もこの頃金剛三昧院領であった可能性がある(頴田町の→口原村。文明元年(一四六九)九月三日の宗貞国書下(豊崎郷給人等御判物写/長崎県史 史料編一)によれば「岩崎二十町」が宗氏家臣の宗大和守に宛行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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