岩本郷
いわもとごう
加島庄のうちの郷名。富士川左岸に位置し、現岩本付近に比定される。建武五年(一三三八)六月二七日付駿河国国宣(実相寺文書)に「駿河国岩本郷内実相寺」とみえ、今川範国が実相寺寺務職を法東に与えている。郷内には「岩本寺」とも称された実相寺が存在した。天文二一年(一五五二)四月一七日、今川義元は先年の河東一乱の際の河舟奉公に対する新給恩として、森彦左衛門尉に駿河国内房郷(現芝川町)橋上村の諸役を免除し、たとえ「富士岩本四分一至于時雇之四分一」であっても扶助すると約束しており(「今川義元判物」森秀夫氏所蔵文書)、当時内房郷と岩本郷は富士川の舟運における何らかの権益を有し諸役を課せられ、「岩本加籠普請」のための四分一役や「雇」と号する臨時の課役が設けられていた(同二四年六月七日「今川義元判物」大石寺文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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