岩淵謙二郎(読み)イワブチ ケンジロウ

20世紀日本人名事典 「岩淵謙二郎」の解説

岩淵 謙二郎
イワブチ ケンジロウ

大正・昭和期の農民運動家 全国農民組合青森県連合会書記長。



生年
明治36(1903)年6月23日

没年
昭和42(1967)年5月13日

出生地
青森県西津軽郡車力村

学歴〔年〕
法政大学中退

経歴
法大時代、不敬罪に問われて拘留され、大正13年帰郷。同年兄・謙一と共に青森県初の農民組合・車力小作組合を結成し、農民運動家として活躍。昭和2年村追放の後、4年全国農民組合県連書記長に就任。5年新労農党県連委員長、7年社会大衆党県連書記長、14年同委員長を歴任。この間、6年の小作争議で懲役3年に処せられ、10年、16年にも検挙される。終戦直前にボルネオに渡り農事指導する。戦後日本社会党に参加し、22年青森県議1期、党県連委員長を務め、社会党分裂では左派に属した。その後、八戸市金沢地区の開拓地に入植酪農に従事した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩淵謙二郎」の解説

岩淵謙二郎 いわぶち-けんじろう

1903-1967 大正-昭和時代の農民運動家。
明治36年6月23日生まれ。大正13年郷里の青森県車力村に兄岩淵謙一らと県下初の農民組合を組織し,小作争議を指導。全国農民組合青森県連書記長,新労農党県連委員長などを歴任。戦後,社会党の結成に参加し,青森県会議員をつとめた。昭和42年5月13日死去。63歳。法大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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