岩淵郷(読み)いわぶちごう

日本歴史地名大系 「岩淵郷」の解説

岩淵郷
いわぶちごう

荒川(旧入間川)南岸、現岩淵町を中心とする一帯。郷内には奥州方面と鎌倉を結ぶ鎌倉街道中道が通り、入間いるま川の渡河点には早くから宿が形成された。正応二年(一二八九)一二月に対岸小川口こかわぐち(現埼玉県川口市)に滞在した久我雅忠の娘後深草院二条は、「とはずがたり」に「岩淵の宿といひて、遊女どものすみかあり」と記している。また鎌倉時代初期の御家人名を伝える建治元年(一二七五)五月日の六条八幡宮造営注文(国立歴史民俗博物館蔵)には武蔵国御家人として「岩淵山城前司跡」の記載がみられ、当郷を名字の地とする岩淵氏の存在が知られる。その出自は不明だが、前後の記載などから毛呂氏の一族であった可能性が高い。しかし岩淵氏の当郷領有についてはその後は確認できない。

室町時代になると鎌倉府直轄領とされた可能性があり、正長二年(一四二九)八月五日に鎌倉公方足利持氏は鎌倉鶴岡八幡宮神主に対して鎌倉大蔵稲荷社造営料として岩淵関所を寄進し(「足利持氏御判御教書写」鶴岡八幡宮神主大伴系譜)、続いて年未詳の五月六日に鎌倉府政所執事二階堂行崇は稲荷社神主に同社修理料として岩淵郷橋賃を寄進している(「行崇書状写」鶴岡神主大伴氏蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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