岩熊井堰(読み)いわぐまいぜき

日本歴史地名大系 「岩熊井堰」の解説

岩熊井堰
いわぐまいぜき

五ヶ瀬川南岸の下三輪しもみわ町岩熊と対岸貝の畑かいのはた町を塞止めて造られた井堰。三浦氏が転封してきた元禄五年(一六九二)水田の少なかった出北いできた村を開発するため井堰の建設が計画されたが実現しなかったという(延岡市史)。享保九年(一七二四)牧野氏家老の藤江監物満遭が出北用水路普請を命じ、これを受けて翌年郡奉行江尻喜多右衛門延勝が実務を担当し出北用水とともに着工された。しかし工事は毎年のように水害を受け、出費もかさんで困難を極めた。さらに同一六年に藤江監物権威を募り悪事を働いたとして捕らえられ、ふね(現日之影町)の獄舎で死去したため工事は中絶した(「甲斐恒右衛門日記」矢津田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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