岩石城跡(読み)がんじやくじようあと

日本歴史地名大系 「岩石城跡」の解説

岩石城跡
がんじやくじようあと

[現在地名]添田町添田、赤村赤

現添田町とあか村の境にそびえる岩石山(四四六メートル)山頂にあった山城。保元二年(一一五七)平清盛が大宰大弐となって下向した際に築城し、その家臣大庭景親を居城させたというが、伝承の域を出ない。「歴代鎮西志」によると、正平二二年(一三六七)七月に南朝方の菊池武光は北朝方の少弐冬資が籠る香春岳かわらだけ(現香春町)を攻め落し、この時に「岩石城亦自潰」といわれ、南北朝期に城として機能していた可能性がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む