岳林寺
がくりんじ
東流して井芹川に合流する麹川の中流南岸。石神山(一六三メートル)の北西麓に位置する。雲峰山と号し、曹洞宗、本尊は観音菩薩。「国誌」は天正九年(一五八一)隈本城城主城親賢の建立とするが、天平宝字年中(七五七―七六五)の草創で律宗に属し、のち荒廃したとも記している。慶長年中(一五九六―一六一五)禅定寺二世顕岩宗允が再興し、以後禅定寺末寺に属したが、延宝二年(一六七四)坂崎清左衛門成政の屋敷となり、一反三畝二七歩を替地として与えられ、現在地に移ったという(国誌)。
岳林寺
がくりんじ
月隈山と星隈山の間にある。松陽山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦三尊像。元徳二年(一三三〇)渡来の元僧明極楚俊を開基とし、後醍醐天皇の勅願寺で、郡司大蔵永貞の建立と伝える(豊後国志)。その甥永敏は康永元年(一三四二)に幸与(康誉)造立の釈迦三尊像を安置したという(豊西記)。永享三年(一四三一)永英により再建されたが、のち荒廃やむなく天正検地の際には寺号がみられなかったという(同書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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