朝日日本歴史人物事典 「島村貫倫」の解説
島村貫倫
生年:天保4.3.28(1833.5.17)
幕末の豊前小倉藩(福岡県)藩士。通称志津摩。嘉永5(1852)年家老となり,藩財政の立て直しを図る。慶応2(1866)年の第2次長州征討で小倉藩は征長軍に参加,藩命により一番手士大将として長州軍と戦った。だが,征長軍に参加の久留米,唐津,熊本諸藩兵は戦意を欠き,この方面の全軍統率者であった老中小笠原長行は脱走。孤立して城に火をかけ,幼主小笠原忠忱を擁して小倉を去り,筑豊山間の香春を拠点に抗戦する。同12月休戦。明治2(1869)年2月辞職。翌3年禄1000石の加増を提示されたが固辞。在野のまま没した。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報