インドの理論物理学者。ケンブリッジ大学に学び、バンガロール(現、ベンガルール)のインド科学研究所の教授を経て、1945年ボンベイ(現、ムンバイ)のタタ研究所の所長になった。素粒子物理学の分野で優れた業績をあげた。とくに1936年にハイトラーと共同で提出した宇宙線のカスケード・シャワーの理論は、この種の高エネルギー現象を量子電気力学の適用限界内でみごとに説明したものとして知られる。
そのほか中間子論の展開への貢献(1938)、五次元の理論などの寄与があり、第1回国際原子力技術会議(1955)には議長を務めるなど、国際的にも活発に活動した。1966年、インド航空機事故のため急逝。
[藤村 淳]
アメリカの作曲家。カーティス音楽院に学ぶ。1935年、アメリカ・ローマ賞とピュリッツァー留学資金を獲得してローマに留学。十二音技法や多調性など、新しい音楽語法を導入した作品もみられるが、基本的にはロマン派の伝統を受け継ぎ、豊かな旋律感とリリシズムにあふれた親しみやすい作風を示し、アメリカ人の間に広く愛好された。代表作に、弦楽四重奏曲(1936。とくに第二楽章は編曲されて『弦楽のためのアダージョ』として有名)、ピアノ・ソナタ(1948)、メノッティの台本によるオペラ『バネッサ』(1957~58。ピュリッツァー賞受賞)、ピアノ協奏曲(1962)、オペラ『アントニーとクレオパトラ』(1966)など。
[寺田兼文]
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アメリカの作曲家。14歳でカーティス音楽学校に入学し,在学中から作曲活動を行って注目された。作風はロマン的で,20世紀アメリカ作曲界におけるロマン派の代表的作曲家と目されている。《弦楽四重奏曲ロ短調》(1936)の緩徐楽章を弦楽合奏用に改作した《弦楽のためのアダージョ》(1937)はトスカニーニによって紹介され,そのエレジー風の気品のある旋律のため,しばしば知名人の葬送曲として演奏され,バーバーは〈私は葬式のために書いたのではない〉と嘆いたという。《管弦楽のためのエッセー第1番》(1937),《同第2番》(1942)はトスカニーニ,ワルターらによって演奏され,《ピアノ・ソナタ変ホ短調》(1949)はホロビッツがしばしば演奏する曲となった。バレエ,オペラなどの舞台作品も残した。
執筆者:三浦 淳史
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