島田叡(読み)シマダ アキラ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「島田叡」の解説

島田 叡
シマダ アキラ


肩書
沖縄県知事

生年月日
明治34年12月25日

出生地
兵庫県

学歴
東京帝大法学部〔大正14年〕卒

経歴
大正14年内務省に入り、佐賀県書記官を振り出しに主に警察畑を歩く。昭和19年大阪府内政部長となるが、沖縄県知事が出張名目で離県し、そのまま帰任しなかったため、特に内務省から請われて、20年1月沖縄県知事に就任米軍上陸が必至とみられていた沖縄へ赴く。着任直後から米軍の上陸に備え、県民疎開をはかる一方、自ら台湾に飛んで食糧の確保に全力を尽した。米軍が沖縄に上陸した後は繁多川の地下壕内で戦時行政に当たったが同年6月下旬沖縄本島南部の摩文仁丘付近で戦死した。26年島民により摩文仁丘に「島守の塔」が建立された。

没年月日
昭和20年6月

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「島田叡」の解説

島田 叡
シマダ アキラ

昭和期の内務官僚 沖縄県知事。



生年
明治34(1901)年12月25日

没年
昭和20(1945)年6月

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
東京帝大法学部〔大正14年〕卒

経歴
大正14年内務省に入り、佐賀県書記官を振り出しに主に警察畑を歩く。昭和19年大阪府内政部長となるが、沖縄県知事が出張名目で離県し、そのまま帰任しなかったため、特に内務省から請われて、20年1月沖縄県知事に就任、米軍の上陸が必至とみられていた沖縄へ赴く。着任直後から米軍の上陸に備え、県民の疎開をはかる一方、自ら台湾に飛んで食糧の確保に全力を尽した。米軍が沖縄に上陸した後は繁多川の地下壕内で戦時行政に当たったが同年6月下旬沖縄本島南部の摩文仁丘付近で戦死した。26年島民により摩文仁丘に「島守の塔」が建立された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島田叡」の解説

島田叡 しまだ-あきら

1901-1945 昭和時代前期の官僚
明治34年12月25日生まれ。大正14年内務省にはいる。警察官僚として徳島長崎県などに赴任。昭和20年沖縄県知事となる。米軍上陸にそなえ,婦女子の疎開と食糧確保につくし,昭和20年6月沖縄本島の摩文仁(まぶに)の丘付近で戦死。45歳。のち同地に島民により「島守の塔」がたてられた。兵庫県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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