嵐喜世三郎(読み)あらし きよさぶろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嵐喜世三郎」の解説

嵐喜世三郎(初代) あらし-きよさぶろう

?-1713 江戸時代前期-中期歌舞伎役者
2代嵐三右衛門の門人。八百屋お七の役を得意とし,江戸での公演の折,衣装の紋に「丸に封じ文」を使用し,それが後世のお七役の衣装の紋になった。濡事(ぬれごと)を得意として大坂,京都,江戸で活躍。喜世三郎の名は天保(てんぽう)まで5代つづくが,初代のみ有名。正徳(しょうとく)3年閏(うるう)5月15日死去。前名は花井喜代三郎。通称は嵐喜世三。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の嵐喜世三郎の言及

【お七吉三物】より

…西鶴の小説《好色五人女》や歌祭文を通して一般に流布していたこの事件が初めて劇化されたのは,1706年(宝永3)1月大坂嵐三右衛門座の歌舞伎狂言《お七歌祭文》である。そのおり,とくに初世嵐喜世三郎のお七が大当りで,以後彼の定紋がお七の紋に用いられるようになったという。その後,人形浄瑠璃では《八百屋お七》《潤色江戸紫》《伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)》等が作られ,歌舞伎では《其往昔恋江戸染(そのむかしこいのえどぞめ)》で現行のお七劇の定型が確立した。…

【八百屋お七】より

…浄瑠璃,歌舞伎のヒロインとして有名な江戸時代の女性。江戸本郷追分の八百屋太郎兵衛の娘という。1682年(天和2)12月28日,駒込大円寺から出火,東は下谷,浅草,本所を焼き,南は本郷,神田,日本橋に及び,大名屋敷75,旗本屋敷166,寺社95を焼失,焼死者3500名という大火があった。その際,家を焼かれ,駒込正仙寺(一説に円乗寺)に避難したお七は寺小姓の生田庄之助(一説に左兵衛)と恋仲となった。家に戻ったのちも庄之助恋しさのあまり,火事があれば会えると思い込み,翌年3月2日夜放火したがすぐ消し止められ,捕らえられて引廻しのうえ,3月29日鈴ヶ森の刑場で火刑に処せられたというのが実説である。…

※「嵐喜世三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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