日本歴史地名大系 「嵯峨天皇陵」の解説
嵯峨天皇陵
さがてんのうりよう
天皇は桓武天皇の第二皇子で、母は藤原乙牟漏(良継女)。大同四年(八〇九)即位。弘仁一四年(八二三)
譲位後の承和元年(八三四)に嵯峨院(現大覚寺)に移り(類聚国史)、承和九年五七歳で没した(続日本後紀)。
「延喜式」諸陵寮には記載がないが、「続日本後紀」承和九年七月一五日条に
とあり、遺言どおり三日をまたず、翌日葬ったことは、一六日条に「択山北幽僻之地
、定
山陵
、以
商布二千段、銭一千貫文
、奉
充
御葬料
、即日御葬畢」と記していることで明らかである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報