巌倉寺(読み)いわくらじ

日本歴史地名大系 「巌倉寺」の解説

巌倉寺
いわくらじ

[現在地名]広瀬町富田

飯梨いいなし(富田川)右岸の丘陵上に位置。睡虎山と号し、高野山真言宗。本尊は木造聖観音立像(檜の一木造で像高一七九センチ)で、脇侍のうちの一つである帝釈天立像とともに平安期の仏像として国の重要文化財に指定されている。応永一九年(一四一二)四月日の巌倉寺再興勧進帳(巌倉寺文書)によると、草創については明らかではないとしたうえで、当初はがつ山一隅の洞穴に仏像(救世観音像)が安置されていたが、文治年間(一一八五―九〇)に一人の沙門が現在地に移した際に洞穴にちなんで巌倉寺と号したという。ところが康暦元年(一三七九)に出雲国守護が佐々木氏から山名氏に交替したことを受けて富田とだ城や新宮しんぐう城周辺で大規模な合戦が起こり、当寺伽藍も全焼してしまい、その後応永一九年まで再興されることもなかったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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