川南豊作(読み)カワナミ トヨサク

20世紀日本人名事典 「川南豊作」の解説

川南 豊作
カワナミ トヨサク

昭和期の国家主義者 川南工業社長。 三無(さんゆう)事件の首謀者



生年
明治35(1902)年7月28日

没年
昭和43(1968)年12月11日

出生地
富山県

学歴〔年〕
水産講習所〔大正8年〕卒

経歴
大正8年東洋製罐に入り、30歳で独立、缶詰工業を始めたが、昭和10年長崎港外香焼島で造船業川南工業を創業、社長として戦時標準船の大量生産に成功、軍部バックアップもあって10万トンドックを完成。南極観測船宗谷」も造った。戦後公職追放、26年解除。その間、大争議で倒産したが再建。36年税金、失業、戦争をなくす“三無主義”を唱え、国史会、三無塾、菊旗同志会、自衛隊などにも呼びかけ、国会占拠、社共議員殺害、新政権樹立のクーデター計画したが、警視庁に摘発され、関係者24人が逮捕された。のち、懲役2年の判決を受け、上告中に死亡した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川南豊作」の解説

川南豊作 かわなみ-とよさく

1902-1968 昭和時代実業家,国家主義者。
明治35年7月生まれ。昭和10年造船業の川南工業を設立し,軍部をバックに産業界に躍進。戦後の36年税金,失業,戦争をなくする三無主義をとなえて池田内閣要人殺害のクーデターを計画(三無事件)。首謀者として懲役2年の刑をうけた。昭和43年12月11日死去。66歳。富山県出身。富山県立水産講習所卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の川南豊作の言及

【三無事件】より

…初め国史会事件と呼ばれたが,グループの主張から三無事件と呼ばれるようになった。1961年12月12日までに,元川南工業社長川南豊作,元陸軍少将桜井徳太郎,元海軍中尉三上卓(五・一五事件の首謀者),元陸軍士官学校生徒小池一臣ら13人が逮捕され,つづいて4次まで検挙がおこなわれた。国史会グループは川南の主張する〈無戦争・無税・無失業〉の三無主義に共鳴し,現在の政府では共産革命を抑止することができないと,元同僚の自衛隊幹部にも呼びかけ,国会の開会する12月9日,国会の周辺を騒乱状態にして,閣僚や国会議員を暗殺する計画を立てた。…

※「川南豊作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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