宗谷(読み)ソウヤ

デジタル大辞泉 「宗谷」の意味・読み・例文・類語

そうや【宗谷】

北海道北端の総合振興局。局所在地は稚内市
日本最初の南極観測船。昭和13年(1938)耐氷型貨物船として建造。昭和31年(1956)砕氷船改造され、第一次から第六次の観測に従事。

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精選版 日本国語大辞典 「宗谷」の意味・読み・例文・類語

そうや【宗谷】

  1. [ 一 ] 北海道北端の支庁。明治三〇年(一八九七設置。支庁所在地は稚内(わっかない)市。
  2. [ 二 ] 南極観測船の名。昭和一三年(一九三八)耐氷型貨物船として建造したものを、地球観測年にあたって同三一年砕氷船に改造。第一次から第六次の観測に従事した。満載排水量四二〇〇トン。同五三年、砕氷型巡視船「そうや」に名を譲る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宗谷」の意味・わかりやすい解説

宗谷(支庁)
そうや

北海道北端部、宗谷岬を挟むオホーツク海側および日本海側一帯と利尻(りしり)島、礼文(れぶん)島を占める町村を所管した北海道庁の出先機関。2010年(平成22)、支庁制度改革によって宗谷総合振興局改称・改組された。旧宗谷支庁の所管区域は浜頓別(はまとんべつ)、中頓別枝幸(えさし)、豊富(とよとみ)、礼文、利尻、利尻富士の7町と猿払(さるふつ)村で、支庁所在地は稚内市(わっかないし)。原則として市域は所管外であるが、稚内市を含む地域を意味する場合もあり、また実務上も同市を含めて管内とされることが多かった。

 1897年(明治30)に設置、その後、1948年(昭和23)豊富村の留萌(るもい)支庁からの移管、1949年稚内の市制施行、1955年宗谷村の稚内市への編入の変動があった。17世紀以来、場所請負制度による漁業経営が行われており、長い間ニシン、コンブなどの海産を主要な産業としていた。現在は乳牛飼育の主畜地帯を形成し、日本海岸のサロベツ原野、オホーツク海岸の東天北(ひがしてんぽく)原野など広い未開発地が残って、利尻礼文サロベツ国立公園と北オホーツク道立自然公園の指定地域が広い。稚内市と礼文島とはフェリーおよび航空機で結ばれている。1991年のソ連崩壊以後、稚内市を中心にロシアとの交流が盛んになった。

[岡本次郎]


宗谷(北海道)
そうや

北海道北部、稚内(わっかない)市の一地区。旧宗谷村の中心地で、宗谷村は1955年(昭和30)稚内市に編入された。宗谷岬の西側にあたり、宗谷護国寺跡、間宮林蔵渡樺出航の地などの史跡が多い。江戸時代には松前藩による宗谷場所が置かれて北部北海道の中心としての位置を占めたが、明治以降、行政の中心が稚内に移って衰微した。なお、宗谷という地名は、岩礁・海岸を表すアイヌ語ソーヤに発し、もと宗谷岬先端西方1キロメートルの岩礁をさした。宗谷岬は日本最北端の地碑をはじめ、さまざまな碑が立っており、公園化されている。

[岡本次郎]



宗谷(南極観測船)
そうや

初代の南極観測船。ソ連(当時)の注文により1938年(昭和13)長崎の香焼(こうやぎ)造船所で竣工(しゅんこう)した耐氷構造貨物船である。契約破棄のため、海軍特務艦として測量、輸送に従事した。50年(昭和25)海上保安庁の所属となり灯台補給船として就役。57年から58年の第3回国際地球観測年の南極観測に日本の参加が決まり、耐氷構造船として観測船に選ばれた。56年の予備観測には1メートルの砕氷能力に改造されて参加、その経験により改造を加え、57年の第一次から62年の第六次までの観測に従事した。その後警備救難業務用船として就航し78年解役された。現在は東京都の船の科学館で公開展示されている。第6次南極観測当時の要目は、2736総トン、全長83.7メートル、幅12.8メートル、深さ9.3メートル、主機関ディーゼル2基、馬力2400馬力×2、速力12.3ノット。宗谷の名は78年建造された砕氷型巡視船が継承している。

[茂在寅男]

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改訂新版 世界大百科事典 「宗谷」の意味・わかりやすい解説

宗谷 (そうや)

南極観測のため1956年11月から62年4月まで6回にわたり海上保安庁によって運用された砕氷船。ソ連向けの耐氷貨物船として建造が開始され,1938年に竣工したが建造途中で注文は破棄され,民間の〈地領丸〉から40年に海軍特務艦〈宗谷〉(測量艦兼運送艦),戦後は海上保安庁灯台補給船となる。南極観測のため56年に満載排水量4200トン,4800馬力に改装され,その後も改装が続けられた。砕氷能力の不足から,第1次観測では氷にとじこめられ,ソ連の砕氷船オビの救援を受け,第2次観測では悪天候のため基地に近づけず越冬観測を断念するなどの不都合があった。南極輸送後は改装を受け巡視船として北方海域で哨戒や観測に従事したが,78年10月任務を〈そうや〉に譲り退役した。この頃〈宗谷〉保存の声が高まり,79年5月1日から東京港海上公園に係留保存されている(現在はお台場の船の科学館で一般公開)。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宗谷」の意味・わかりやすい解説

宗谷
そうや

南極観測で活躍した砕氷設備をもつ船。 2734総t (排水量 3869t) ,長さ 79.8m,幅 12.8m,深さ 9.3m。速力は最高 13.1ノット,巡航 12.6ノット。 1938年6月耐氷型貨物船として川南工業香焼島造船所で進水し,『地領丸』と命名されたが,40年1月海軍の用船となり,特務艦『宗谷』と改名した。第2次世界大戦後,引揚げ船として活動,49年末から海上保安庁灯台補給船となる。 55年 11月,国際地球観測年にあたり南極観測用砕氷船として大改造され,翌 56年の第1次から 62年の第6次までの南極観測隊を運び,63年からは巡視船として北方海域で警備救難業務についた。 79年からは財団法人「船の科学館」に払下げられ,保存されている。

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世界大百科事典(旧版)内の宗谷の言及

【昭和基地】より

…その後基地は一時閉鎖され,66年の第7次観測により再開,現在まで越冬観測が続けられている。この間観測船として,最初は〈宗谷〉が使用され,その後65年には〈ふじ〉が,83年には〈しらせ〉が就航した。第1次に11名で始まった越冬観測は82年には35名で行われた。…

【南極】より

…この時期にイギリスの南極大陸横断隊のフックスVivian Ernest Fuchs(1908‐ )隊長以下は57年10月に前進基地シャックルトンを出発し,アメリカの設けたアムンゼン・スコット南極点基地に58年1月20日到着,さらにロス島のニュージーランドのスコット基地に3月2日に到着し,南極大陸横断に成功した。1956年11月,日本南極地域観測隊は〈宗谷〉で東京港を出発,翌年1月29日リュツォー・ホルム湾のオングル島に昭和基地を開設した。一時基地は閉鎖されたが,66年1月に再開,現在まで観測が続けられている。…

※「宗谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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