川原ヶ谷村(読み)かわはらがやむら

日本歴史地名大系 「川原ヶ谷村」の解説

川原ヶ谷村
かわはらがやむら

[現在地名]三島市川原ヶ谷・初音台はつねだい三恵台さんけいだい

箱根はこね山西麓の山裾に位置し、同山中を源流とする大場だいば川の支流山田やまだ(現三島山田川)に沿う。三島宿から東海道を東進し、宿の東出口であるかん(大場川)に架かる新町しんまち橋を渡ると当村に入る。やがて箱根西坂の急な登り道である今井坂と愛宕あたご坂にかかり、登りきると松並木の続く緩やかな坂となる。この辺の東海道筋が南東隣の谷田やた村との村境にもなっている。当村には山田・小沢こざわ元山中もとやまなかといった小村が枝村として含まれている。中世の箱根山越道はこれらの集落付近を通過していたといわれる。北条氏所領役帳に「豆州河原谷」とみえ、職人衆の須藤惣左衛門盛永が当地に五〇貫文の所領を与えられていた。なお治承四年(一一八〇)八月一九日源頼朝は三薗みその・川原谷郷を三嶋大明神(三嶋大社)に寄進して宮盛を両所の沙汰職に補任(「源頼朝下文」三嶋大社文書)、一〇月二一日御薗みその・川原かや、長前ながさき(現韮山町)を三嶋大明神に寄進し(「源頼朝寄進状写」矢田部文書)翌年には川原谷郷の沙汰人等に郷内の黍畠を三嶋大明神領として安堵したというが(治承五年七月二九日「源頼朝下文」三嶋大社文書)、これらの文書は検討の余地がある。また文治元年(一一八五)四月二〇日、頼朝は三嶋社の祭礼にあたって糠田ぬかだ(現韮山町)を寄進し、これ以前の寄進地と合せて四ヵ所になったので、当地と三薗を六月二〇日の臨時祭料所として神主東大夫盛方に、糠田・長崎を八月の二宮八幡宮放生会料所として神主西大夫盛成に付しているが(吾妻鏡)、「吾妻鏡」の記事も検討の余地があると考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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