箱根(読み)ハコネ

デジタル大辞泉 「箱根」の意味・読み・例文・類語

はこね【箱根】

神奈川県南西部、足柄下郡の地名。北部を早川が流れ、西部に芦ノ湖がある。江戸時代東海道五十三次の宿駅の一つで、関所が置かれていた。多くの温泉があり、観光地。また、広くは箱根山一帯をさしていう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「箱根」の意味・わかりやすい解説

箱根
はこね

伊豆半島の基部に位置し、神奈川県南西部から静岡県東端にかけて広がり、中心部は神奈川県足柄下(あしがらしも)郡箱根町に属する。世界の複式火山の典型で、山と湖、渓谷と深い緑の景観に富み、温泉の湧出(ゆうしゅつ)が多く、富士箱根伊豆国立公園の中核部をなしている。歴史上、古代から山岳信仰の霊地、日光と並ぶ修験道(しゅげんどう)の行場(ぎょうば)とされ、また東海道が通って、それらにちなむ史跡が数多く残されている。外国人の日本研究の拠点にもされ、国際観光地として内外によく知られている。

[浅香幸雄]

自然

箱根の中心の箱根山は三重式火山で、新旧二重の外輪山と七つの中央火口丘からなっている。古期外輪山は、塔ノ峰(とうのみね)、明星ヶ岳(みょうじょうがたけ)、明神ヶ岳、金時山(きんときざん)、丸岳、三国(みくに)山、山伏峠、鞍掛(くらかけ)山、大観山(だいかんざん)、白銀(はくぎん)山などを連ねる環状の山嶺(さんれい)で、内側は急斜面でカルデラ底に臨んでいる。カルデラは南北約12キロメートル、東西約8キロメートル。その内部の、碓氷(うすい)峠、浅間(せんげん)山、鷹巣(たかのす)山、屏風(びょうぶ)山を連ねる半円形の山嶺が新期外輪山である。中央火口丘の小塚(こつか)山、台ヶ岳、神(かみ)山、駒ヶ岳(こまがたけ)、上二子(かみふたご)山、下二子山、丸山の七つが、西側を古期外輪山、東側を新期外輪山で囲まれた新しいカルデラ内にそびえる。中央火口丘のうち、神山は1438メートル(箱根火山の最高峰)で成層火山であるが、著しく侵食されて険しい地形をなし、北東斜面の中腹に大涌谷(おおわくだに)や早雲地獄の硫気孔がある。これに対しほかの諸山は、溶岩円頂丘(トロイデ)で、原形に近いドーム形をなしている。中央火口丘と古期外輪山の西部との間に芦ノ湖(あしのこ)(火口原湖)や仙石原(せんごくはら)(火口原湖に砂・土が堆積(たいせき)した火口原)があり、湖の水は早川(はやかわ)(火口瀬(らい))となり、古期外輪山の脚部を侵食して相模(さがみ)湾に注ぐ。また新期外輪山の南東斜面の水を集める須雲(すくも)川は湯本で早川に合流する。

 箱根火山の基盤は、第三紀中新世の火山噴出物の層で、その上に第四紀更新世(洪積世)中期から末期にかけて3回の活動によって火山が形成されている。第一期の活動は輝石安山岩の溶岩を噴出して成層火山をつくったが(この噴出物が古期外輪山を構成)、その成長の途中に成層火山の中心を通る北西―南東方向の断層(金時山幕(まく)山構造線)ができて火山体を二分した。この活動の終了後に、火山体の中央が陥没して第一期のカルデラができた。のち第二期の活動がおこり、おもに溶岩が噴出して傾斜の緩い楯状(たてじょう)火山ができ(浅間山、鷹巣山などの新期外輪山の外側の台地状山地)、こののちにまたカルデラの陥没があって新期外輪山ができた。最後に第三期の活動がおこり、第一期の活動中におこった断層を中心に現在の中央火口丘がつくられた。そして、神山の北西部が崩れて大涌谷や早雲山の硫気孔ができた。またその崩壊物が泥流となって流出し、早川の上流をせき止めて芦ノ湖となり、神山の溶岩流が北に流れて、俵石(ひょうせき)付近で早川をせき止めてできた火口原湖に砂や粘土が堆積したのが仙石原である。

 こうした火山性山地の箱根の気候は、内陸型中山性で、年平均気温は12℃、年降水量は2700~3300ミリメートルで、小田原(湘南(しょうなん)型)に比べて4~5℃低温、100~500ミリメートル多雨で、冬は降雪が少なくない。したがって植生は、低山部が落葉広葉樹ハンノキ、ヤチダモ林、中央火口丘がブナ、ミズナラ林、その山頂の風当りの強い地区では、オノエランハコネコメツツジなどの風衝(ふうしょう)草、風衝矮(わい)性低木林となり、二子山頂のそれらは県指定天然記念物である。箱根は野鳥の宝庫といわれ、多種多様の生息をみるが、芦ノ湖へ晩秋から冬季に渡来するオシドリ、夏鳥のオオジシギイソシギは学術上も価値の高いものとされている。

[浅香幸雄]

歴史

箱根の中央にそびえる中央火口丘の神山、駒ヶ岳は、その秀麗な姿と登山の険しさで、古くから神秘感を与えていた。奈良時代に万巻上人(まんがんしょうにん)が入山してからは、ここは日光とともに、関東における山岳信仰の霊場、修験道の行場となった。箱根三所権現(ごんげん)(箱根寺、現、箱根神社)は雨乞(あまご)いの霊験や竜神伝説で広く信仰を集め、また戦勝の神として、源頼朝(よりとも)など中世・近世の将軍・諸大名の祈願所となっていた。その神領は、中央火口丘の両山をはじめ、地獄山(大涌谷、早雲山)、姥子温泉(うばこおんせん)、芦ノ湖、門前集落元(もと)箱根にわたる広大なものであった。

 箱根はまた、東海地方から関東地方へ入る入口にあたり、その歴史には交通にちなむものが多い。東海から相模へ入るには、ごく古くは乙女峠―仙石原―明神ヶ岳―坂本(南足柄市関本)の碓氷道(みち)が使われていたようである。ついで律令(りつりょう)時代には北の足柄峠(759メートル)越えの足柄道が使われるようになった。平安時代初期に富士山が噴火し、足柄峠がその噴出物で埋まったため碓氷道が再開され、箱根峠越えの箱根道も開かれた。のち足柄道の復旧後は、碓氷、足柄の両道がもっぱら使われることになり、平安後期には警備が厳重になり、足柄、碓氷の両関では通行証が調べられるようになった。

 鎌倉幕府開府後は、箱根道―小田原―相模湾岸の東海道がよく使われるようになり、室町時代にかけての箱根山内の本道は、箱根峠―芦ノ湖畔―鷹巣山―浅間山―湯坂―湯本の尾根道を加えたコースで、また駿河(するが)国(静岡県)からの別道として湖尻(こじり)峠―芦ノ湖東岸―元箱根の道も使われていた。1590年(天正18)の豊臣秀吉(とよとみひでよし)の小田原城攻めには、この尾根道沿いで攻防戦が繰り広げられた。

 江戸時代初頭には箱根道が東海道の本道となり、芦ノ湖畔から二子山南麓(なんろく)を須雲川沿いに湯本茶屋へ下るルートに改められた。そして石畳(いしだたみ)道づくりが進められ、両側に並木(スギ、マツ)が植えられ、一里ごとに一里塚(湯本茶屋、畑宿(はたじゅく)、元箱根)が築かれた。当初は小田原―三島(みしま)両宿間を1日で越していたが、1618年(元和4)に芦ノ湖の南東岸に箱根宿が設けられ、その北はずれの屏風山の山脚が湖岸に迫る狭隘(きょうあい)な要害地に箱根関が設けられた。また、東海道の道筋が温泉を避けて通じているのは、参勤交代の諸大名が謀議するのを警戒してのことといわれる。大名行列や雲助についてはいまもよく語られ、箱根馬子唄(まごうた)や長持(ながもち)唄はここの代表的民謡となっている。江戸時代の箱根に見逃せないのは、芦ノ湖の水利権が、外輪山西斜面の深良(ふから)用水組合(静岡県裾野(すその)市)に帰属することになったことで、これは現在も続いている。

[浅香幸雄]

観光

箱根の観光は温泉観光ともいえる。古くは箱根七湯(湯本、塔ノ沢、宮ノ下、堂ヶ島、底倉(そこくら)、木賀(きが)、芦ノ湯)での湯治に始まり、明治以後に開発された小涌谷、湯ノ花沢、大平台(おおひらだい)と、大涌谷、早雲地獄などの硫気孔から引き湯をしている仙石原、強羅(ごうら)などを加えて箱根温泉郷(箱根二十一湯)といっている。

 箱根が温泉観光地として近代的に開発されたのは大正の終わりごろからである。しかしこれより以前、1887年(明治20)には宮ノ下の富士屋ホテルが神奈川県の補助を得て湯本から人力車道をつくり、1895年には宮ノ下に御用邸ができて別荘設置熱を刺激していた。しかし当時は、箱根の全温泉旅館数は40軒にすぎず、仙石原、強羅などは未開発のままであった。のち1919年(大正8)には湯本―強羅間に登山電車(小田原馬車鉄道。箱根登山鉄道の前身)が開通し、まもなく仙石原ゴルフ場が設けられた。1927年(昭和2)には、東京の新宿―小田原間に小田原急行(現、小田急電鉄)が全通し、箱根の観光利用をいっそう便利にした。その後、東京の西武、東急その他の大手観光企業によるケーブルカー、ロープウェー、湖上遊覧船、ゴルフ場、レジャーランド、外輪山嶺線を走るスカイライン有料道路などが次々に建設され、箱根の観光施設は充実していった。箱根にはもともと史跡や文化財が多いうえに、ゴルフ場、スケート場、テニスコートなどのスポーツや教養の施設が多くつくられている。箱根旧街道(石畳道)、元箱根の石仏群(付近に伝曽我(そが)兄弟墓―石の五輪塔、伝多田満仲(みつなか)墓―石の宝篋印塔(ほうきょういんとう))、箱根関跡はともに国指定史跡、仙石原の湿原植物群落は国指定天然記念物、箱根神社裏のヒメシャラの純林は県指定天然記念物である。また仙石原と宮城野(みやぎの)の両諏訪(すわ)神社の湯立獅子舞(ゆだてししまい)は選択無形民俗文化財、また、7月31日から始まる芦ノ湖の湖水祭(竜神祭)とそれに出演する箱根囃子(ばやし)、明星ヶ岳の大文字焼、大名行列などは貴重な民俗芸能として知られる。早雲寺と箱根神社は、絵画、彫刻、刀剣などの国・県指定文化財を多く蔵している。文化施設には、箱根美術館、強羅公園、箱根湿生花園、彫刻の森美術館、ポーラ美術館などがある。

[浅香幸雄]

『会田範治著『箱根春秋』(1966・明治書院)』『『箱根の文化財』全8巻(1966・箱根町)』『日本火山学会編『箱根火山』(1971・箱根町)』『『はこね』(1972・箱根町)』『神奈川新聞社編・刊『箱根』(1973)』『箱根文学研究会著『箱根の文学散歩』(1988・神奈川新聞社)』『平野富雄著『箱根二十湯』(1994・神奈川新聞社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「箱根」の意味・わかりやすい解説

箱根[町] (はこね)

神奈川県南西端,足柄下郡の町。人口1万3853(2010)。箱根山古期カルデラの外輪山内側一帯を町域とし,全域が富士箱根伊豆国立公園に含まれる。古代の箱根山は山岳信仰の聖地で,757年(天平宝字1)には箱根三所権現がまつられたと伝えられる。中世には鎌倉幕府の庇護のもとに栄え,江戸時代に入ると箱根関が置かれ,中心集落の箱根は宿場町として,元箱根は箱根神社の門前町として,湯本は湯治場として発展した。1888年に小田原馬車鉄道が開通し,ついで1900年には小田原電気鉄道(のちの箱根登山鉄道)の路面電車に発展するに及び,近代的な観光保養地として発展を遂げた。芦ノ湖をはじめとする美しい自然景観と数多くの文化遺産,箱根湯本ほか18湯の豊富な温泉に恵まれ,日本を代表する国際観光保養地として年間2100万人以上の内外観光客を集め,就業人口の9割が,サービス業を中心とした第3次産業で占められている。保養所やキャンプ場,ゴルフ場,スケート場などレクリエーション施設も数多くあり,温泉供給事業といったユニークな公営事業も行われている。古くから湯治場みやげ,街道みやげとしてつくられてきた箱根細工がある。箱根登山鉄道のほか,国道1号,138号線,箱根新道・箱根ターンパイク,芦ノ湖スカイライン,乙女道路(1984年無料開放)など交通手段も整備されている。箱根旧街道箱根関跡,元箱根石仏群などの国指定史跡や,天然記念物の箱根仙石原植物群落がある。また箱根関所資料館,大涌谷自然科学館(2003年閉館)をはじめ彫刻の森美術館,箱根美術館,成川美術館,箱根ガラスの森など文化施設も多い。

箱根町東部にある温泉で,箱根山の火口瀬である早川と須雲川の合流点付近に位置する。近世の箱根七湯(ななゆ)のうち唯一東海道沿いにあったためその玄関口として栄え,とくに後期には小田原・箱根両宿を脅かすほど一夜泊りの湯治客でにぎわった。明治以降は鉄道が整備され,大正~昭和初期にかけて箱根山一帯で観光開発が進み,温泉街が近代化した。現在も箱根温泉郷で最も繁栄しており,古い旅館街は湯場(ゆば)あるいは湯場筋と呼ばれる一帯に,近代的なホテルは,須雲川沿いに集中している。箱根登山鉄道箱根湯本駅には小田原急行電鉄も乗り入れている。
執筆者:

箱根は古くは〈筥荷〉〈筥根〉とも書いた。古代の東海道は,駿河から相模に向かうに際して丹沢山塊を越すのが困難なため,箱根火口原を経て相模に至る道がとられた。その道筋は駿河横走(よこばしり)駅(現,静岡県駿東郡小山町竹之下あるいは御殿場市六日市場付近か)から足柄峠を越えて相模坂本駅(現,南足柄市関本)に通じていた。なお,この足柄道のほかに,駿河から乙女峠を越え,仙石原を経て碓氷(うすい)峠を越え,明星ヶ岳と明神ヶ岳の外輪山を通過して坂本に至る道があったとみる説もある。足柄道は《万葉集》はじめその記述が多くみられる。

 8世紀末の富士山の噴火により足柄道がふさがれたため,802年(延暦21)5月箱根道を開いてこれを臨時の官道としたが,翌年足柄道が復旧され,官道はまた足柄越えの道に戻った。これ以後平安時代を通じて足柄道の利用が盛んであったが,末期になると箱根道の往来が増え,いつのころか横走,坂本の2駅も廃され,鎌倉時代に至って箱根道が主要道となった。箱根道は永倉駅(現,静岡県駿東郡長泉町。三島駅の北西2.5km)を基点として元山中(もとやまなか)を通って山伏峠の南東に上り,下って芦ノ湖南岸の芦川宿から元箱根,芦ノ湯,鷹巣(たかのす)山,浅間(せんげん)山,湯坂山を通り湯本に至る。この道は〈湯坂越え〉とも呼ばれ,《東関紀行》や《十六夜(いざよい)日記》をはじめ《曾我物語》や《太平記》にもその名が見えている。そのほか中世を通じてこの道のことを記した書は多い。

 元箱根から芦ノ湯に至る道筋に,鎌倉時代の石仏や石塔群が数多く存在している。例えば二子山の山すそにある六道地蔵は3mを超す半肉彫で,正安2年(1300)8月8日の銘がある。その向い側の精進(しようじん)池の池畔には多田満仲の墓と称する大宝篋印塔(ほうきよういんとう)(正安2年8月21日供養導師良観上人(忍性)銘)や二十五菩薩と呼ばれる石仏群(永仁元年(1293)8月18日銘)がある。ほかに芦ノ湯に近い所に曾我兄弟ならびに虎御前の墓と伝える3基の五輪塔(うち1基に永仁3年12月銘)もあり,これらの石仏群は国の史跡に指定されている。この場所にこうした石造仏群がつくられたのは,鎌倉後期にこの地を〈六道の辻〉と考え,ここを死出の山への入口とみていたからかもしれない。ちなみに《箱根案内記》(1857)は精進池を〈生死(しようじ)の池〉,二十五菩薩像の背後の宝蔵ヶ岳を〈死出の山〉としている。

 箱根道を通る旅人は,箱根権現(箱根神社)への参拝を欠かさなかったという。箱根権現は,万巻(まんがん)上人によって奈良時代末から平安初期(《箱根山縁起》によれば757年)にかけて開かれたといい,石橋山敗戦の折に別当行実(ぎようじつ)が援助して以来,源頼朝の尊崇はあつく,当社に特別の保護を加えて,伊豆山権現(伊豆山神社)とともに〈二所権現〉と称し,鎌倉時代を通じて幕府は二所詣・二所奉幣を行った。この参詣に際してとられた道筋,すなわち箱根権現から芦川宿を経て鞍掛(くらかけ)山に登り,十国峠,岩戸山の尾根道を通り,伊豆山に至る道筋を二所参詣道と呼んでいる。この道から,鞍掛山の頂上で北東に分かれ大観山,坊山,白銀(しろがね)山,聖(ひじり)岳,石垣山を通って小田原に通じる道が,いわゆる〈関白道〉あるいは〈太閤道〉である。1590年(天正18)の小田原征伐に際して豊臣秀吉が通ったことによるという。この道筋の白銀山から南に真鶴(まなづる)半島に向かって下る道が,石橋山敗戦後源頼朝の通った道といい〈頼朝道〉と称している。
執筆者: 近世に至って,湯坂道は険しいので,元箱根から畑宿(はたじゆく)を通って湯本に至る谷間の道が開かれ,本道となった。すなわち東海道沿いの街道筋には1600年(慶長5)の東海道設置とともに箱根関に連なる地として箱根宿と立場茶屋の畑宿,湯本茶屋が賑わい,山林での山稼ぎのほか,畑宿の寄木,湯本茶屋の挽物のいわゆる箱根細工が製作され,名物として売られた。また箱根宿は1618年(元和4)小田原および三島から住民を移して開設された。

 一方,湯場筋には湯本,塔ノ沢,堂ヶ島,宮ノ下,底倉,木賀,芦ノ湯の箱根七湯が点在し,湯治客を迎える湯宿が並んでいた。江戸をはじめ関東,甲斐,伊豆方面から7日を1単位として滞在する湯治客が集まった。特に文政年間(1818-30)以後になると湯本の一夜泊りの宿泊客は小田原・箱根両宿場町を脅かすものとして苦情が出た。芦ノ湯は江戸からの文人の宿泊が多く,東光庵はその集会場であった。また,近世に入っても,箱根権現は参詣客が多く,元箱根はその門前町としていっそう発展した。
執筆者:

箱根は鎌倉時代から関東有数の地蔵信仰の聖地とされてきた。その背景としては,温泉の出る場所によくみられるように,箱根には地獄があると考えられ,またここが東国の西の境にあたる場所であったことが考えられる。箱根のこのような性格から,地獄に落ちた者を救い,六道の境に立つ仏としての地蔵の信仰が発達したのであろう。上記の,賽の河原といわれた精進池周辺の石造物群はその所産である。これらは,その銘文から鎌倉後期の永仁・正安年間(1293-1302)に地蔵講の結衆によって造立されたものであることが判明している。一方,これらのうち3基並立する大五輪塔が曾我兄弟と虎御前の墓と言い伝えられてきたように,曾我兄弟の伝承と箱根とは深い関係をもっている。箱根およびそれに近い富士のすそ野などを主要舞台とする《曾我物語》の成立にあたっては,箱根権現などに拠る僧侶が大きな役割を果たしたと考えられている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「箱根」の意味・わかりやすい解説

箱根【はこね】

神奈川県南西部にある箱根山一帯。ほぼ全域が箱根町に属し,日本有数の観光地で,富士箱根伊豆国立公園の箱根地区をなす。箱根山は三重式火山で,外周に金時山,明神ヶ岳,明星ヶ岳,大観山,三国山,長尾峠,乙女峠など標高1000m前後の古期外輪山があり,その内側は急斜面をなしてカルデラ底に臨む。カルデラは最大径南北11km,東西8kmで,内部には東寄りに浅間(せんげん)山,鷹巣(たかのす)山など700m前後の新期外輪山,中央に神山(最高点1438m),駒ヶ岳,上二子山,下二子山など7つの中央火口丘,北西部に仙石原,西部に芦ノ湖がある。大涌谷では現在も火山活動が続いており,活火山として気象庁が常時観測している。カルデラ内の北部を早川,南部を須雲川が東流,箱根湯本堂ヶ島強羅(ごうら),姥子(うばこ)など多くの温泉がわく。鉄道,ロープウェー,道路も完備し,観光基地は箱根湯本,芦ノ湖南岸の旧箱根町地区など。
→関連項目大涌谷函南[町]十国峠裾野[市]箱根[町]

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事典・日本の観光資源 「箱根」の解説

箱根

(神奈川県足柄下郡箱根町)
東海道五十三次」指定の観光名所。

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