川崎寛美(読み)カワサキ ヒロミ

20世紀日本人名事典 「川崎寛美」の解説

川崎 寛美
カワサキ ヒロミ

明治・大正期の発明家,男爵,実業家 日本銀行国庫局長。 川崎式鉄網コンクリートの発明者。



生年
文久3年8月8日(1863年)

没年
大正15(1926)年9月4日

出身地
薩摩国(鹿児島県鹿児島市塩屋町)

経歴
明治8年横浜の英国人ワッソン女史方に寄留して英語を習得し、16歳の頃に寛美と改名。19歳で大学予備門の1級生より外務省御用掛となった。この頃激務の余暇に、のちに子爵となる曽根荒助からフランス語を学んだ。22歳でロンドン公使館会計主任となる。19年官制改革で交際官試補、20年パリ公使館会計主任に転じ、25年帰国後、外務翻訳官記録課長となり、29年ロシア帝戴冠式に参列のため山県有朋陸軍大将に随行する。帰国後、外務省会計課長となるが、30年官を辞して日本銀行に入り国庫局長となり台湾の金庫事務検査のため全島を視察した。36年京釜鉄道常務理事を命じられ、39年鉄道国有案が成立し同社が解散するまで就任した。同年家督を継ぎ男爵を襲爵。産業振興の必要性を痛感し、41年金網製造機を開発、翌42年特許を得て川崎工場を設立する。その後は盛んに自己の発明品を製作・販売した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川崎寛美」の解説

川崎寛美 かわさき-ひろみ

1863-1926 明治-大正時代官僚,実業家。
文久3年8月8日生まれ。川崎祐名(すけな)の長男。外務省会計課長をへて日本銀行国庫局長,京釜鉄道常務理事を歴任。明治41年金網製造機を開発。翌年特許をえて川崎工場を設立した。大正15年9月4日死去。64歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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