朝日日本歴史人物事典 「川崎鑰之助」の解説
川崎鑰之助
戦国時代の兵法家。東軍流の開祖とされ,天文年間(1532~55)に活躍した。越前国(福井県)の人で,時盛,幸盛,清貞と称した。父時定は朝倉孝景に仕えた。中条流の富田勢源より剣術を学び,上州白雲山(妙義山)に籠って妙旨を得,東軍流を創始した(比叡山の東軍坊に学んだためとする説もある)。流儀を子孫にのみ授けたため,その妙に達する者が出ず,曾孫の宗勝(?~1671)に至って奥秘に到達したとされる。宗勝は武州忍の原の決闘がきっかけとなり忍藩主阿部忠秋に仕え,のち江戸で道場を開き,天下五大流儀のひとつに数えられた。赤穂浪士のうち大石内蔵助ら4人が同流の使い手とされる。<参考文献>森田栄『東軍流兵法史』
(加来耕三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報