京都市左京区,鞍馬山麓の鞍馬川沿いにひらけた集落。上賀茂から丹波へ通じる鞍馬街道が通る。平安時代には,鞍馬は鞍馬寺を指す場合が多いが,《枕草子》に〈鞍馬のつづらをりといふ道〉とあるのが,地名として見える鞍馬の早い例である。寛仁年間(1017-21)には,鞍馬寺の敷地や周辺寺領が改めて朝廷より確認されている(《小右記》寛仁3年3月20日条)。またこの地は人里離れた土地であるため,鎌倉時代ころ以降,俊寛の妻子や後白河法皇,西行などの避難・隠棲の地とされた(《平家物語》ほか)。江戸時代には引き続き鞍馬寺領で,鞍馬寺門前あるいは鞍馬村として,正保・元禄・享保の石高帳に193石余の村高が記される(天保郷帳では216石余)。江戸時代の物産として,黒木・薪炭・柴・山椒皮・芝栗・野老(ところ)・燧石(ひうちいし)があげられ(《雍州府志》),黒木・薪炭類は八瀬・大原の女たちと同様に,村の女が頭上に載せて京都へ売り歩いたといわれる。また燧石(火打石)は〈鞍馬の簣下(ふごおろし)〉と呼ばれる独特の方法で販売された(同)。なお名産の木芽(きのめ)漬(アケビ,スイカズラ,マタタビなどの若葉を刻んで混ぜ塩漬にしたもの)は,すでに平安末期の《続詞花和歌集》や《顕註密勘》にも紹介されている。
鞍馬村は半僧半俗的な要素があり,村人は大惣仲間・宿直仲間など七つの仲間組織を構成し,鞍馬山の竹伐り会(蓮華会)などの行事を執行した(大惣仲間文書)。1806年(文化3)に発生した鞍馬寺火災ののち,再建費用が寺領内農民への重税賦課によってまかなわれるといった事件に端を発して,68年(明治1)には鞍馬寺別当と法師仲間との間に鞍馬騒動が起こっている。1929年鞍馬電鉄(のち京福電鉄鞍馬線。現,叡山電鉄鞍馬線)が通じた。
執筆者:樋爪 修
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京都市北東部、左京区の一地区。旧鞍馬村。北山山地に位置し、平地に乏しく、薪炭(しんたん)、木材を産す。鞍馬山(570メートル)の中腹にある鞍馬寺の門前町。老杉に覆われる鞍馬山は鞍馬天狗(てんぐ)や牛若丸修業の地の伝説でも知られる。出町柳から山麓(さんろく)の門前町まで叡山(えいざん)電鉄鞍馬線が通じ、山門から中腹の多宝塔まではケーブルカーがある。本堂から奥の院の魔王堂などを経て、貴船(きぶね)神社へ至る道はハイキングコースとなっている。6月20日の農作物の豊凶を占う竹伐り会式(たけきりえしき)や山麓に近い由岐(ゆき)神社の10月22日の火祭の行事がある。
[織田武雄]
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