戦国時代におこった剣術の一流派。流祖は越前(えちぜん)朝倉家の臣、富田九郎左衛門長家(くろうざえもんながいえ)。長家は中条(ちゅうじょう)流平法(へいほう)の嫡伝を大橋勘解由左衛門高能(かげゆざえもんたかよし)から受け、子の治部左衛門景家(じぶざえもんかげいえ)に伝えた。景家に3子あり、長子郷家(さといえ)は早世、次子五郎左衛門盛玄(せいげん)(勢源入道)が継いだが、眼病(耳聾(じろう)ともいう)のため、三男治部左衛門景政(かげまさ)にこれをゆずった。景政は尾張(おわり)の前田利家(としいえ)に仕え、のち七尾(ななお)城代4000石に栄進し、1593年(文禄2)70歳で逝去した。
景政に男子なく、女婿に門下の俊才山崎与六郎を迎えた。これがのちに名人越後(えちご)とよばれる越後守(えちごのかみ)重政(しげまさ)で、戦功を重ねて1万3000余石を領し、1625年(寛永2)72歳、金沢で没した。重政に3子あったが、長子重家(しげいえ)、三子宗高(むねたか)は早世し、次子重康(しげやす)が道統を継いだが中風にかかり、1643年42歳で死去したため、富田の本流は急速に衰えた。
一方、勢源の門流は戸田(とだ)流を称して全国各地に広がった。関白豊臣秀次(とよとみひでつぐ)の師となった長谷川宗喜(むねよし)、徳川2代将軍秀忠(ひでただ)の御稽古(けいこ)の師となった桜井六右衛門、また景家の門人印牧(かねまき)重兵衛の家系から、伊藤一刀斎景久(いっとうさいかげひさ)の師となった鐘捲自斎通家(かねまきじさいみちいえ)らを輩出し、近世の剣術界に大きな影響力を与えた。
[渡邉一郎]
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