富田流(読み)トダリュウ

デジタル大辞泉 「富田流」の意味・読み・例文・類語

とだ‐りゅう〔‐リウ〕【富田流】

剣道一派。越前朝倉氏家臣富田九郎左衛門長家を祖とする。
槍術そうじゅつの一派。越前朝倉氏の家臣、富田牛生とだごせいを祖とする。

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精選版 日本国語大辞典 「富田流」の意味・読み・例文・類語

とだ‐りゅう‥リウ【富田流】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 剣道の一派。中条流大橋勘解由左衛門高能の門人越前国福井県)朝倉氏の家臣富田九郎左衛門長家を祖とする。〔本朝武芸小伝(1716)〕
  3. 槍術の一派。越前国朝倉氏の家臣富田牛生(うしう)を祖とする。中根流・打身流佐分利流はこの分流。〔武術流祖録(1843)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「富田流」の意味・わかりやすい解説

富田流
とだりゅう

戦国時代におこった剣術の一流派。流祖は越前(えちぜん)朝倉家の臣、富田九郎左衛門長家(くろうざえもんながいえ)。長家は中条(ちゅうじょう)流平法(へいほう)の嫡伝を大橋勘解由左衛門高能(かげゆざえもんたかよし)から受け、子の治部左衛門景家(じぶざえもんかげいえ)に伝えた。景家に3子あり、長子郷家(さといえ)は早世、次子五郎左衛門盛玄(せいげん)(勢源入道)が継いだが、眼病耳聾(じろう)ともいう)のため、三男治部左衛門景政(かげまさ)にこれをゆずった。景政は尾張(おわり)の前田利家(としいえ)に仕え、のち七尾(ななお)城代4000石に栄進し、1593年(文禄2)70歳で逝去した。

 景政に男子なく、女婿門下の俊才山崎与六郎を迎えた。これがのちに名人越後(えちご)とよばれる越後守(えちごのかみ)重政(しげまさ)で、戦功を重ねて1万3000余石を領し、1625年(寛永2)72歳、金沢で没した。重政に3子あったが、長子重家(しげいえ)、三子宗高(むねたか)は早世し、次子重康(しげやす)が道統を継いだが中風にかかり、1643年42歳で死去したため、富田の本流は急速に衰えた。

 一方、勢源の門流戸田(とだ)流を称して全国各地に広がった。関白豊臣秀次(とよとみひでつぐ)の師となった長谷川宗喜(むねよし)、徳川2代将軍秀忠(ひでただ)の御稽古(けいこ)の師となった桜井六右衛門、また景家の門人印牧(かねまき)重兵衛の家系から、伊藤一刀斎景久(いっとうさいかげひさ)の師となった鐘捲自斎通家(かねまきじさいみちいえ)らを輩出し、近世の剣術界に大きな影響力を与えた。

[渡邉一郎]

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