川田 瑞穂
カワタ ミズホ
明治〜昭和期の漢学者 大東文化学院教授。
- 生年
- 明治12(1879)年5月24日
- 没年
- 昭和26(1951)年1月27日
- 出生地
- 高知県・森村
- 別名
- 号=雪山
- 経歴
- 漢学者として活躍し、大正12年大東文化学院創設と同時に幹事教授となる。昭和10年早大教授となり25年定年退職。鈴木喜三郎、平沼騏一郎ら大臣の知遇をうけ、内閣、司法省などの文書の起草に携わる。第二次大戦の終戦の詔書草案も手がけたといわれる。「片岡健吉先生伝」「詩後集成」などの著書がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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川田瑞穂 かわだ-みずほ
1879-1951 明治-昭和時代の漢学者。
明治12年5月24日生まれ。山本梅崖(ばいがい)らに師事。大正12年大東文化学院の創設につくし,教授に就任。昭和4年早大教授。のち司法省,内閣官房の嘱託となり,太平洋戦争時の詔書起草にかかわった。昭和26年1月27日死去。71歳。高知県出身。号は雪山。著作に「詩語集成」「片岡健吉先生伝」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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