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鈴木喜三郎 すずき きざぶろう

美術人名辞典の解説

鈴木喜三郎

大正・昭和期の司法官僚。政治家神奈川県生。本姓川島、鈴木家の養子。東大卒。東京地裁・検事総長を経て、大正九年貴族院議員に勅選され、清浦内閣法相就任田中義一内閣では内相として、また党内では義弟鳩山一郎の支持も得て主流の中心に立ち、犬養内閣でも内相兼法相に就任、総裁にも選ばれた。昭和15年(1940)歿、73才。

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百科事典マイペディアの解説

鈴木喜三郎【すずききさぶろう】

政治家。武蔵(むさし)国橘樹(たちばな)郡出身。帝大卒後,大審院判事,検事総長などを歴任し,1924年清浦奎吾内閣の法相となった。立憲政友会に入党し,田中義一内閣の内相となり,最初の普通選挙に対する選挙干渉,共産党弾圧を強行した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鈴木喜三郎 すずき-きさぶろう

1867-1940 明治-昭和時代前期の官僚,政治家。
慶応3年10月11日生まれ。司法次官,検事総長をへて清浦内閣の法相。昭和2年田中内閣の内相となり,翌年第1回普通選挙での選挙干渉を非難され辞任。7年衆議院議員。犬養毅(いぬかい-つよし)の死後政友会総裁。貴族院議員。昭和15年6月24日死去。74歳。武蔵(むさし)橘樹(たちばな)郡(神奈川県)出身。帝国大学卒。本姓は川島。

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世界大百科事典 第2版の解説

すずききさぶろう【鈴木喜三郎】

1867‐1940(慶応3‐昭和15)
司法官,政治家。神奈川県に生まれる。1891年東京帝国大学法科を卒業し,判事となる。大審院判事,東京地方裁判所長などを経て検事に転じ,大審院検事,司法次官,検事総長などを歴任する。1920年6月貴族院勅選議員となり,24年清浦奎吾内閣に法相として入閣。26年政友会に入り,翌年田中義一内閣の内相に就任したが,28年には最初の普選での選挙干渉を非難されて辞任している。しかし鳩山一郎,森恪らを従えて政友会内部での勢力を拡大,犬養毅内閣では法相から内相に転じ,五・一五事件後には総裁に推された。

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大辞林 第三版の解説

すずききさぶろう【鈴木喜三郎】

1867~1940) 政治家。神奈川県生まれ。法相・内相を歴任。犬養首相死後、政友会総裁となり、治安体制の強化を推進した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鈴木喜三郎
すずききさぶろう

[生]慶応3(1867).10. 川崎
[没]1940.6.24. 東京
司法官,内相。 1891年東京大学法科卒。同年司法省に入り,司法次官,検事総長を歴任。 1924年清浦内閣の司法大臣として入閣。 27~28年には立憲政友会による田中内閣の内務大臣に就任。内務省の地方官人事にのぞみ,露骨な政友会優遇の党派人事を強行。さらに 28年の第1回普通選挙に干渉した。同年の第 55回議会ではその非を責める尾崎行雄の政治国難決議をはじめとする中野正剛らの攻撃に屈し,同5月3日単独辞職を余儀なくされた。その内相在職中には治安維持法改正,特別高等警察の拡充,三・一五事件による共産党の大検挙などがあり,昭和初期を特徴づける治安問題を強力に推進したことで知られる。 31~32年再度法相。 32~39年政友会総裁。鳩山一郎の義兄。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鈴木喜三郎
すずききさぶろう
(1867―1940)

司法官僚、政治家。慶応(けいおう)3年10月11日、川島富右衛門の二男として武蔵(むさし)国(神奈川県)に生まれ、のち鈴木慈孝の養嗣子(ようしし)となる。東京帝国大学法科大学卒業後、1893年(明治26)判事となり、東京控訴院判事、大審院判事、東京地裁所長を歴任し検事に転任。その後、司法省刑事局長、大審院検事、司法省法務局長、司法次官を経て1920年(大正9)貴族院議員に勅選され、1921年検事総長、1924年清浦奎吾(きようらけいご)内閣の法相に就任。1927年(昭和2)田中義一(たなかぎいち)内閣の内相となり、特高警察の拡充と治安維持法体制の強化を画策。1928年、三・一五事件による共産党の大検挙、治安維持法の改悪を行った。一方、第1回普通選挙に際しては露骨な選挙干渉を強行したが、議会でその責任を追及されて内相を辞任した。1931年に犬養毅(いぬかいつよし)内閣の法相、さらに内相に就任。1932年、五・一五事件で犬養が暗殺されると政友会第7代総裁となった。議会内で絶対多数を有する第一党の党首として政権獲得を画策したがならず、逆に党内の内紛を激化させ、1935年国体明徴決議案の提出などファッショ化の時流に乗じようとした。1936年総選挙に落選。貴族院議員に復したが、政権に見放されて党内の派閥抗争が激化し、1937年総裁を辞任(後継総裁未決定により、1940年の分裂時まで名目上総裁)。鳩山一郎(はとやまいちろう)は義弟。[粟屋憲太郎]
『鈴木喜三郎先生伝記編纂会編・刊『鈴木喜三郎』(1945)』

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世界大百科事典内の鈴木喜三郎の言及

【政友会】より

…しかし,軍部は満州事変からさらに32年には上海事変へと戦火を拡大し,満州国の建国を宣言するなど,犬養内閣は軍部の暴走を抑止できず,犬養首相が五・一五事件で殺害されて,内閣は崩壊した。 政友会はこの年の総選挙で圧勝して安定多数の議席を獲得していたため,後継総裁に鈴木喜三郎を選んで政権担当の意思を示したが,斎藤実による中間内閣が出現し,政友会からは高橋是清蔵相など2名を入閣させるにとどまった。 続く岡田啓介内閣も中間内閣として成立したため,政友会はこれを支持せず,入閣した3閣僚は政友会を脱党した。…

【選挙干渉】より

…28年の第16回総選挙は初めての男子普通選挙として実施されたが,選挙法の改正に伴い,戸別訪問が禁止されるなど選挙運動の規制も強化されていた。田中義一首相は,検事総長,法相の経歴をもつ鈴木喜三郎内相に選挙取締りを担当させ,野党である民政党や新興の無産諸政党の選挙運動に対して干渉を行った。選挙に先だって政府は道府県知事の大更迭を行い,与党政友会系の知事を送り込み,野党候補者や運動員には刑事の尾行をつけ,選挙事務所に刑事を張り込ませて妨害した。…

※「鈴木喜三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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