伝馬騒動(読み)てんまそうどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伝馬騒動」の意味・わかりやすい解説

伝馬騒動
てんまそうどう

1764年(明和1)閏(うるう)12月下旬より翌年正月にかけて起こった武州農民を中心とする中山道(なかせんどう)の増助郷(ましすけごう)反対一揆(いっき)。天狗(てんぐ)騒動、武上(ぶじょう)騒動ともいう。東照宮百五十回忌の法要を翌年に控えた1764年6月、幕府は中山道交通量の増大を理由にして武州板橋宿(東京都板橋区)から上州(群馬県)、そして信州和田宿(長野県長和町和田)に至る28宿周辺の村々に増助郷を命じるため、代官手代を派遣して村々の実態調査をすることにした。

 12月6日、手代の野村順八(じゅんぱち)と平塚市郎右衛門(いちろうえもん)は、上州新田(にった)・佐位(さい)・那波(なは)の3郡と武州児玉(こだま)・賀美(かみ)など6郡、あわせて194か村と助郷村28か村の村役人に村明細帳と年貢割付(ねんぐわっぷ)の写し、それに本庄(ほんじょう)宿までの略図を持って本庄へ出頭するよう指示した。19日、村役人を前にした両手代は、高100石につき人足6人・馬3疋(びき)の増助郷を村々に命じたが、伊勢崎(いせさき)町役人たちは触書(ふれがき)拝見の請書(うけしょ)を提出したのみで帰村した。以後、道中奉行(ぶぎょう)に対して増助郷免除を訴える村々が相次いだ。しかしそのすべてが却下されたので、農民の反感はしだいに高まっていった。

 閏12月16日、本庄宿周辺の身馴(みなれ)川の十条河原で数千人の農民が集会を開き、江戸への強訴(ごうそ)を決議した。22日本庄宿を打毀(うちこわ)し、各地で反対農民の支援を受けながら深谷(ふかや)・熊谷(くまがや)へと進み、幕府と直接対決する態勢を整えた。事件の重大化に驚いた幕府は、関東郡代の伊奈半左衛門(いなはんざえもん)に鎮圧を命じたが、彼は農民側の要求を全面的に受け入れることを約束して事態を収拾した。しかし農民は追及の手を緩めず、この計画を立案した宿問屋や在郷商人、村役人宅の打毀に向かい、大晦日(おおみそか)から正月6日にかけて20軒ほどを襲撃した。「島原の乱以来」といわれるこの騒動は、参加者20万人という江戸時代最大の規模に発展し、農民の全面的勝利に終わった。しかし騒動に対する幕府の追及は厳しく、武州児玉郡関村(埼玉県美里(みさと)町)の名主兵内(へいない)が頭取として獄門に、そのほか武州、上州、野州、信州4か国の農民369人が処罰された。

[中島 明]

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改訂新版 世界大百科事典 「伝馬騒動」の意味・わかりやすい解説

伝馬騒動 (てんまそうどう)

1764-65年(明和1-2)武蔵国を中心に起きた助郷(すけごう)役増徴反対の百姓一揆。64年8月,江戸幕府は中山道の伝馬助郷役不足の解決と,翌年にせまった日光東照宮百五十回忌の交通量増大に対処するため,増助郷(ましすけごう)課役の方針をうちだし,板橋宿から和田宿までの武蔵,上野,信濃28宿の村々に高100石につき人足6人,馬3疋の増助郷を命じ,人馬役負担の困難な村には代金として高100石につき金6両2分を提出させようとした。しかもこの負担を買上人馬による宿問屋などの請負制で実施しようとしたため,増助郷の村々は同年2月の朝鮮使節来朝による高100石につき金3両1分2朱の国役金(くにやくきん)徴収直後のこととて,重課に反発した。閏12月16日,武蔵国児玉郡の十条河原に集結して増助郷中止の要求を決め,翌17日本庄宿の市をつぶし騒動のさきがけとした。21日に十条河原に集結した農民は要求貫徹のため江戸強訴(ごうそ)を決し,22日強訴の効果を上げるための示威手段として本庄宿を,ついで27日熊谷宿を打ちこわした。この蜂起は上野国の村々をまきこみ,さらに信濃,下野の増助郷村々の動揺を誘発させた。正月元日を期しての江戸城強訴を目的とする一揆勢は,中山道を鴻巣(こうのす)より桶川宿まで進撃し,幕府に衝撃を与えた。幕府は一揆鎮圧を町奉行,関東郡代,代官,火付盗賊改,騒動近辺の大名・旗本などに命じ,また江戸では諸門を固めて防衛体制を強化した。一方29日,老中松平武元(たけちか)は勘定吟味役関東郡代兼帯伊奈半左衛門忠宥(ただおき)に命じ,増助郷中止を触れ一揆勢の江戸進撃を回避した。要求を貫徹した一揆勢は,一転して年末より翌65年正月にかけて入間,大里,高麗,比企,足立の各郡下三十数人の増助郷計画に参加した出願人である名主層,地主層,在郷商人層を壊滅的に打ちこわした。一揆鎮静後,幕府は主謀者として児玉郡関村名主兵内を獄門に処したほか,武蔵,上野,信濃,下野などの農民369人を処罰した。幕府側では増助郷出願人から贈賄を受けた老中,道中奉行の責任は問われず,評定所留役の罷免など下僚が処罰された。
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百科事典マイペディア 「伝馬騒動」の意味・わかりやすい解説

伝馬騒動【てんまそうどう】

江戸時代に武蔵(むさし)国を中心に起きた百姓一揆。武上(ぶじょう)騒動・天狗(てんぐ)騒動ともいう。1764年幕府が板橋宿から武蔵国・上野(こうずけ)国・信濃(しなの)国にわたる28宿の村々に増助郷(ましすけごう)課役の方針を打ち出したことに反発,武蔵国の十条河原に集結して江戸強訴(ごうそ)を決定し,本庄(ほんじょう)宿・熊谷(くまがや)宿などへの打毀(うちこわし)を行った。この蜂起は下野(しもつけ)国など他国にも波及していくが,江戸強訴のため中山(なかせん)道を進撃していく一揆勢に対して,幕府はその鎮圧を大名・旗本に命じるとともに,増助郷の中止を決め,江戸に一揆勢が入るのを回避した。一揆勢は増助郷の計画に加わった名主(なぬし)・地主や在郷商人らの宅を打毀しにしている。鎮圧後,幕府は幕府側の下級役人を処罰したにとどめたのに対して,一揆側は首謀者が獄門に処されたほか,百姓369人が処罰された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伝馬騒動」の解説

伝馬騒動
てんまそうどう

天狗騒動とも。1764年(明和元)閏12月~翌年1月に,武蔵国中山道沿いの村々に発生した百姓一揆。幕府は宿駅の困窮を増助郷(ましすけごう)を設置して解消しようとしたが,前年朝鮮通信使渡来にともなう国役金を賦課された村々は,たび重なる負担の増加に反対して蜂起。児玉郡十条村に集会した一揆は,本庄・深谷・熊谷の各宿を襲い江戸をめざした。鎮撫を命じられた関東郡代伊奈半左衛門は,家臣を上尾宿へ派遣して政策の全面撤回を通達し,のち一揆は増助郷政策に加担した者や不参加村の村役人などの打ちこわしを行った。参加人数20万ともいわれる近世最大規模の一揆。参加村落が幕領・旗本領・諸藩領にまたがる広域強訴の最初の事例。

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