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工藤三助 くどう さんすけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

工藤三助 くどう-さんすけ

1661-1758 江戸時代前期-中期の治水家。
寛文元年10月2日生まれ。生地の豊後(ぶんご)大分郡谷村の灌漑にとりくみ,元禄(げんろく)12年大竜井手(おおたついで)(井路(いろ))を完成。その功により谷村手永総庄屋となる。宝永4年鑰小野(かぎおの)井手をひらき,さらに提子(ひさご)井手の開発にかかるが,宝暦8年4月4日死去。98歳。長男の弁助らがあとをつぎ,安永4年に完成。これらは野津原三渠(のつはるさんきょ)とよばれ,合計約700haをうるおした。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

工藤三助

没年:宝暦8.4.4(1758.5.10)
生年:寛文1.10.2(1661.11.23)
豊後国大分郡谷村手永(熊本藩領)惣庄屋。領域錯綜地域であり,谷が多く,灌漑用水に不足していた谷村手永の用水確保のため,野津原三渠といわれる大竜,鑰小野,提子の3井手(井路)の開発に貢献した。元禄12(1700)年には私費35貫目を投じて大竜井手(総延長約6.8km,灌漑面積約120ha)を完成。熊本藩から10石を加増され,知行高30石となった。宝永4(1707)年には4年の歳月を要した鑰小野井手(総延長約14km,灌漑面積328ha余)を完成。三助はこれによって独礼,さらに中小姓に昇進。享保9(1724)年から提子井手の開発に着手するが飢饉のため中断,工事は三助の死後阿鉢村の地士佐藤夫四郎らが受け継いで完成した。三助はほかに肥後国葦北郡水俣,同阿蘇郡小国,豊後国速見郡湯平の治水事業にも協力している。<参考文献>渡辺新七郎『工藤三助

(豊田寛三)

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