朝日日本歴史人物事典 「工藤三助」の解説
工藤三助
生年:寛文1.10.2(1661.11.23)
豊後国大分郡谷村手永(熊本藩領)惣庄屋。領域錯綜地域であり,谷が多く,灌漑用水に不足していた谷村手永の用水確保のため,野津原三渠といわれる大竜,鑰小野,提子の3井手(井路)の開発に貢献した。元禄12(1700)年には私費35貫目を投じて大竜井手(総延長約6.8km,灌漑面積約120ha)を完成。熊本藩から10石を加増され,知行高30石となった。宝永4(1707)年には4年の歳月を要した鑰小野井手(総延長約14km,灌漑面積328ha余)を完成。三助はこれによって独礼,さらに中小姓に昇進。享保9(1724)年から提子井手の開発に着手するが飢饉のため中断,工事は三助の死後阿鉢村の地士佐藤夫四郎らが受け継いで完成した。三助はほかに肥後国葦北郡水俣,同阿蘇郡小国,豊後国速見郡湯平の治水事業にも協力している。<参考文献>渡辺新七郎『工藤三助』
(豊田寛三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報