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馬場文耕 ババブンコウ

デジタル大辞泉の解説

ばば‐ぶんこう〔‐ブンカウ〕【馬場文耕】

[1718~1758]江戸中期の講釈師戯作者伊予の人。本名、中井文右衛門。通称、左馬次(さまじ)。時事を論じて幕府の忌諱(きき)に触れ、獄死。著「近世江都著聞集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

馬場文耕 ばば-ぶんこう

1715/18-1759* 江戸時代中期の講釈師。
正徳(しょうとく)5/享保(きょうほう)3年生まれ。幕政を批判,風刺した講釈をしていたが,美濃(みの)(岐阜県)八幡(はちまん)藩の金森騒動を題材にした「森の雫(しずく)」を発表して逮捕され,宝暦8年12月25日(一説に29日)処刑された。41/44歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。姓は中井。通称は文右衛門,左馬次,馬文耕。著作に「近世江戸著聞集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

馬場文耕

没年:宝暦8.12.25(1759.1.23)
生年:享保3(1718)
江戸中期の講釈師。本姓中井,通称を左馬次といった。伊予(愛媛県)の人。江戸に出て名を文右衛門と改め,文耕と号して,初めは易術で生計を立てたという。諸家に出入りする座敷講釈のかたわら,8代将軍徳川吉宗賛美のエピソードや時事問題を題材とした実録小説を書き,貸し本屋に売って暮らしを立てた。性闊達で豊かな学識を持っていたが,世に入れられぬ不満から,講釈中にも9代将軍徳川家重の治世や世事を誹謗すること多く,宝暦8(1758)年9月,当時御家騒動で有名だった美濃(岐阜県)郡上八幡城主金森頼錦の収賄事件を『珍説もりの雫』と題して話のなかに取り込み,さらに小冊『平かな森の雫』を公刊して捕らえられ,幕政を批判した科で打ち首,獄門となった。『近世江戸著聞集』『当世武野俗談』『大和怪談』などの著がある。閲歴には不詳な点が多いが,吉宗に仕えた下級の幕臣であったといい,忌日は29日,享年は44歳ともいう。

(宇田敏彦)

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世界大百科事典 第2版の解説

ばばぶんこう【馬場文耕】

1718‐58(享保3‐宝暦8)
江戸中期の江戸の講釈師。《只誠埃録(しせいあいろく)》によると,本姓は中井,伊予の人,出家したものの還俗,中井文右衛門,さらには文耕と名のり易で生計を立てたとある。自著によると,幕臣を致仕,俳諧を白兎園宗瑞に学び,子供は寛永寺に奉公などとあるが《只誠埃録》と合致しない。著作には無署名,別号,仮託のものなどがあり,確定に困難な場合もあるが,《世間御旗本容気(かたぎ)》(1754),《近世江都著聞集》(1757),《当世諸家百人一首》(1758)など十数部が知られている。

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大辞林 第三版の解説

ばばぶんこう【馬場文耕】

1718~1758) 江戸中期の講釈師。伊予の人。本姓、中井。通称、文右衛門。世話物の分野を開拓。美濃金森家の収賄事件を口演し、幕府批判の罪で死罪となった。著「近世江都著聞集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

馬場文耕
ばばぶんこう
(1718―1758)

江戸中期の講釈師。伝未詳。関根只誠(しせい)編の『只誠埃録(あいろく)』によると、伊予(愛媛県)の人、中井左馬次(さまじ)、一度出家ののち還俗(げんぞく)して文右衛門(ぶんえもん)、さらに馬場文耕と改め、当初易で生計をたてたというが、文耕自身の書き残したものからは裏づけえない。下級の幕臣であったが浪人して講釈師となり、俳諧(はいかい)は白兎園宗瑞(はくとえんそうずい)門、2人の子供を寛永寺(かんえいじ)に奉公させていたというのが実像であろうか。武家に出入りし家政を批判する一方、江戸・采女ヶ原(うねめがはら)などで講じ、毒舌家で、世話物の分野を開拓した。1758年(宝暦8)9月16日、美濃(みの)郡上(ぐじょう)の百姓一揆(いっき)を講じたうえ、小冊子『平仮名森の雫(しずく)』をも頒布したため逮捕され、12月25日小塚原(こづかっぱら)で獄門。『当世武野俗談(とうせいぶやぞくだん)』『近世江都著聞集』『当世諸家百人一首』など十数部の著述があるが、8代将軍吉宗(よしむね)への尊崇の念が甚だしい。[延広真治]

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世界大百科事典内の馬場文耕の言及

【郡上一揆】より

…この後に登用される幕閣が,田沼政権に連なっていくところから,郡上一揆は幕政転換の契機となったとされている。また,この一揆を講談化して口演した馬場文耕が幕政を批判したとして獄門に処せられ,その講談本《平かな森の雫》が発禁とされたことも,幕府の思想統制の強化のはじまりをしめすものとして注目されている。【松田 之利】。…

【講談】より

…宝暦・明和(1751‐72)のころに,男根形の棒を手に,僧侶・女性を痛罵する講釈で異彩を放ったのは深井志道軒(1682‐1765)で,彼のことは平賀源内の《風流志道軒伝》に記されている。馬場文耕は講釈場(略して釈場(しやくば)という)の整備につとめたが幕政批判が注目され,1758年(宝暦8)9月に金森騒動を扱った《珍説森の雫(しずく)》を読んで処刑された。 天明(1781‐89)のころから講釈は一段と栄え,仇討物,博徒物,心中物,俠客(きようかく)物,白浪物など読み物がふえていった。…

※「馬場文耕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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