市川 虎四郎
イチカワ トラシロウ
江戸時代末期〜大正期の弓道家
- 生年
- 弘化3年(1846年)
- 没年
- 大正14(1925)年10月31日
- 出生地
- 肥前国島原(長崎県)
- 本名
- 市川 信光
- 経歴
- 肥前島原藩士で、嘉永3年(1850年)から同藩弓術師範・森川内蔵助の門に入り大和流の弓術を学び、5年7歳の時、東照宮の祭礼に当たり藩主・松平忠精の前で騎射を演じ賞された。安政5年(1858年)大和流の免許を受ける。明治維新後、各種の武術は一時廃絶状態であったが、よく練習して次第にその名を知られた。明治35年長崎市松の森に射場を設けて門弟を指導し、36年長崎鎮西学館教授となる。大正2年弓道範士の称号を受けた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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市川虎四郎 いちかわ-とらしろう
1846-1925 幕末-大正時代の弓道家。
弘化(こうか)3年生まれ。肥前島原藩(長崎県)藩士。大和流をまなび,7歳で藩主松平忠精(ただきよ)の前で騎射を演じ賞された。安政5年大和流の免許をうける。明治36年長崎鎮西学館教授。大正2年弓道範士。大正14年10月31日死去。80歳。名は信光。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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