市振関所跡(読み)いちぶりせきしよあと

日本歴史地名大系 「市振関所跡」の解説

市振関所跡
いちぶりせきしよあと

[現在地名]青海町市振

市振集落の西はずれは南に山が切立ち、北は日本海が迫り、関所を設置するには好適の所であった。現在市振小学校にあるエノキ大木が関所の名残である。ここから西へ一千五〇〇メートルでさかい川を隔て、加賀藩の境番所に対した。慶長三年(一五九八)堀秀治春日山かすがやま(現上越市)城主となった時に、鬼伏おにぶし関所(現能生町)を廃し市振関所を設け、前田利長領に対したという(西頸城郡誌)。しかし正保国絵図には番所として、市振・鬼伏が併記されるので、ある時期は両立したと思われる。明治一四年(一八八一)の「市振村誌」は寛永(一六二四―四四)の初め幕府は高田たかだ(現上越市)の城主松平光長に命じ、市振関所を設置し、厳しく出入りを調べさせたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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