市谷谷町(読み)いちがやたにまち

日本歴史地名大系 「市谷谷町」の解説

市谷谷町
いちがやたにまち

[現在地名]新宿区市谷台町いちがやだいまち住吉町すみよしちよう

丹後宮津藩下屋敷裏手から南方の先手組同心組屋敷(里俗に蓮池先手組屋敷)方面へ下る通り(現あけぼのばし通)の両側町。東は京恩きようおん寺および旗本屋敷、西は備中松山藩板倉家下屋敷、安養あんよう寺・先手組同心組屋敷(里俗に鍋釣先手組屋敷)および旗本屋敷、南は蓮池先手組屋敷、北は旗本屋敷など。古くは当地の東方にあって市谷村のうちほん村とよぶ村方であった。同所はのちに尾張徳川家の用地(のち上屋敷)として収公されたため、代地として寛永三年(一六二六)に当地を与えられた。谷間の場所であったことから谷町と名付けられたという。寛文一二年(一六七二)検地を受け(反別一町三反余)、代官支配の百姓町屋となり、正徳三年(一七一三)代官・町奉行両支配地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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