日本歴史地名大系 「席田郡」の解説
席田郡
むしろだぐん
- 岐阜県:美濃国
- 席田郡
「和名抄」東急本国郡部の訓注に「无之呂多」とあり、催馬楽にも同じ万葉仮名表記がみえる。莚田とも記された。近世の当郡は東側を
〔古代〕
「和名抄」には四郷を記載し、郷名には訓を欠いている。各郷の比定地はいずれも北方町から糸貫町にかけての辺りとされる。式内社はない。郡の初見は「続日本紀」霊亀元年(七一五)七月二七日条の記事で、「尾張国人外従八位上席田君迩近及新羅人七十四家、貫于美濃国、始建席田郡焉」とみえる。いわゆる建郡記事で、和銅(七〇八―七一五)初年頃から始まった律令政府による地方支配の徹底策の一つとして行われた建郡の一例である。本巣郡の南東部を割いて建置された当郡は、渡来人の進んだ技術による開発が期待される所であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報