席田郡(読み)むしろだぐん

日本歴史地名大系 「席田郡」の解説

席田郡
むしろだぐん

和名抄」東急本国郡部の訓注に「无之呂多」とあり、催馬楽にも同じ万葉仮名表記がみえる。莚田とも記された。近世の当郡は東側を方県かたがた郡、西側を本巣もとす郡に囲まれた小郡で、根尾ねお川扇状地の一部、濃尾平野の北西部にあたる。根尾川は山口やまぐち(現本巣郡本巣町)で平野に出て、東の糸貫いとぬき川、西のやぶ川に分流する。根尾川も糸貫川も幾度か流路を変え、現在の流路は享禄三年(一五三〇)の洪水でできたとされる。糸貫川は船木山ふなきやま丘陵の西端から丘陵に沿って南東へ流れた時もあり、旧河道がみられる。当郡はこの旧河道を北東限、現糸貫川筋を西限としている。現在の本巣郡北方きたがた町・糸貫町の一部にあたる。明治三〇年(一八九七)の郡制施行に伴い本巣郡の一部となり、郡名は消滅した。

〔古代〕

「和名抄」には四郷を記載し、郷名には訓を欠いている。各郷の比定地はいずれも北方町から糸貫町にかけての辺りとされる。式内社はない。郡の初見は「続日本紀」霊亀元年(七一五)七月二七日条の記事で、「尾張国人外従八位上席田君迩近及新羅人七十四家、貫于美濃国、始建席田郡焉」とみえる。いわゆる建郡記事で、和銅(七〇八―七一五)初年頃から始まった律令政府による地方支配の徹底策の一つとして行われた建郡の一例である。本巣郡の南東部を割いて建置された当郡は、渡来人の進んだ技術による開発が期待される所であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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