帰雲城跡(読み)かえりくもじようあと

日本歴史地名大系 「帰雲城跡」の解説

帰雲城跡
かえりくもじようあと

[現在地名]白川村保木脇

しよう川東側の帰雲山(一六二二メートル)にあったとされるが、天正一三年(一五八五)の地震で崩壊したため遺構などは不明で、同山南西側山腹に高さ三五〇メートルほどの大崩壊面を残す。一五世紀後半に飛騨に侵入した内ヶ島氏の居城。同氏は信州松代まつしろの楠氏の末裔で、内ヶ島将監と称し室町幕府奉公衆であったと伝えるが(「飛州志」「岷江記」など)、一方で西園寺公宗の弟橋本経喬が飛騨に流され、鳩谷はとがやにあった嘉念坊の執事三島右衛門の婿となり内ヶ島氏を名乗ったのに始まるともいわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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