保木脇村(読み)ほきわきむら

日本歴史地名大系 「保木脇村」の解説

保木脇村
ほきわきむら

[現在地名]美濃市保木脇

湾曲流する長良川左岸に位置する須原すわら谷の一村両側から山々が迫り、左岸のわずかな平坦地に集落が切れ切れに続く。南は曾代そだい村。村名の由来は下流の村に通じる道の断崖に天神保木という桟道がかかり、その脇にあったことによるという。慶長郷帳に村名がみえ、村高二二七石余。元和元年(一六一五)幕府領から尾張藩領となり、幕末に至る。正保郷帳では田高二一石余・畑高一八九石余・山年貢一六石。明暦覚書では概高三〇〇石余、人数三〇七、馬三一、用水は谷水を利用。


保木脇村
ほきわきむら

[現在地名]白川村保木脇

しよう川沿いにあり、白川街道が通る。南の平瀬ひらせ村、北の野谷のだに村との間はともにほきとなっており、地名もこれに由来するという(斐太後風土記)浄蓮じようれん寺の実如の方便法身尊像裏書(飛州志)に保木脇村願主浄西とある。戦国時代には庄川東側の帰雲かえりくも城に内ヶ島氏が拠った。天正一三年(一五八五)越中(飛騨)地震では、帰雲山の南西側斜面から地滑りが起きて庄川を堰止め、左岸の内ヶ島氏の城下が埋没して一千余人の人命と数百の人家がほぼ全滅したという(「宇野主水日記」同年一一月二九日条ほか)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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