改訂新版 世界大百科事典 「金森長近」の意味・わかりやすい解説
金森長近 (かなもりながちか)
生没年:1524-1608(大永4-慶長13)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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安土(あづち)桃山時代の武将。通称五郎八、兵部大輔(ひょうぶたいふ)。土岐(とき)氏の支族大畑定近の子に生まれ、のち近江(おうみ)国(滋賀県)金森村に移り、氏を改めた。早く織田信長に仕えて長篠(ながしの)の戦いに功があった。のち豊臣(とよとみ)秀吉に仕え、1585年(天正13)飛騨(ひだ)の三木(みつき)氏を滅ぼし飛騨3万8000余石を得て、高山に城下町を整えた。関ヶ原の戦いには養子可重(ありしげ)とともに徳川家康に従い、上有知(こうずち)(美濃(みの)市)ほか2万3000石を加増され、高山城を可重に譲り、自らは上有知に小倉城を築いて住んだ。素玄(そげん)と号し茶の湯に通じて知られる。慶長(けいちょう)13年8月12日伏見(ふしみ)で没し、大徳寺内金竜院に葬られた。高山市の素玄寺は可重が建てた菩提(ぼだい)寺。
[村瀬円良]
(笹本正治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…人口4万0245(1995)。現市街は天正年間(1573‐92)金森長近の亀山築城に始まり,1682年(天和2)以後は土井氏4万石の城下町として明治に至った。格子状の町割り,寺町などに旧景観を残している。…
…人口6万6139(1995)。古くは飛驒国府が置かれたといわれるが,金森長近が飛驒全域を支配して城下町を経営して以来,飛驒の政治・経済・交通の中心地となった。その後,幕府直轄地となって陣屋が置かれた。…
…その中からやがて三木氏が伸張して姉小路の名跡と飛驒国司号を継ぎ,織田信長死後は独立権力として運動しはじめる。1582年(天正10)には江馬氏,翌83年には広瀬氏を倒し,三木氏は白川地域の内ヶ島氏を除いてほぼ飛驒全域の覇者となったが,85年豊臣秀吉の派した金森長近の軍に抗戦,敗北した。同年大地震で内ヶ島氏の帰雲城も没落,翌86年には広範な飛驒の小領主連合の蜂起があったが,それも金森氏に鎮圧され,飛驒の中世は終わった。…
※「金森長近」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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