常万村(読み)じようまんむら

日本歴史地名大系 「常万村」の解説

常万村
じようまんむら

[現在地名]余目町常万

まち村のほぼ南東にあり、北楯大きただておお堰が北流する。地名は、付近にあった道満どうまん(八ッ沼・入道沼)から道満といわれ、その後常満じようまんとよばれ、さらに常万になったと伝えられる(「北堰問答記」など)。小字大乗向だいじようむき大乗寺という寺院があったという伝承もある。元和五年(一六一九)北楯大堰開削に伴い開発されたと伝えられるが(宝暦八年「祥応山略縁起」鈴木文書)、慶長年間(一五九六―一六一五)すでに道満沼の北東集落があったとの伝承もあり定かでない。正保庄内絵図(本間美術館蔵)に常万新田とみえ、高一八八石余。慶安二年(一六四九)松山藩領、寛文三年(一六六三)庄内藩領、天和二年(一六八二)酒井忠高領、元禄九年(一六九六)以降幕府領で、天明四年(一七八四)から同八年は松山藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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