大乗寺(読み)ダイジョウジ

デジタル大辞泉 「大乗寺」の意味・読み・例文・類語

だいじょう‐じ【大乗寺】

石川県金沢市長坂町にある曹洞宗の寺。山号は東香山。弘長3年(1263)に加賀守護家の富樫家尚いえひさの招きで真言宗の澄海が開創。のちに曹洞宗に転じ徹通義介てっつうぎかいが開山。
兵庫県美方郡香美かみ町にある高野山真言宗の寺。山号は亀居山。天平17年(745)行基の開創という。寛政年間(1789~1801)密蔵・密英らにより再興。この折、親交のあった円山応挙はじめ一門が、ふすま屏風びょうぶなどを揮毫きごうしたので、応挙寺とも称する。

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精選版 日本国語大辞典 「大乗寺」の意味・読み・例文・類語

だいじょう‐じ【大乗寺】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 大乗の教法により創建・運営される寺院。
    1. [初出の実例]「一者一向大乗寺 置文殊師利菩薩、以為上座」(出典:山家学生式(818‐819))
  2. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 石川県金沢市長坂町にある曹洞宗の寺。山号は東香(とうきょう)山。弘長三年(一二六三)加賀国の守護富樫家尚が創建。開山は澄海。足利尊氏などの帰依(きえ)をうけた。永正一四年(一五一七)後柏原天皇の勅願所となり、東香山大乗護国禅寺の号を贈られた。
    2. [ 二 ] 兵庫県美方郡香美町にある高野山真言宗の寺。山号は亀居山。天平一七年(七四五)行基(ぎょうき)の草創と伝えられる。寛政年間(一七八九‐一八〇一)密英が再興。密英に援助を受けたことのある円山応挙が弟子たちとともに来住し襖絵(ふすまえ)・屏風(びょうぶ)など一六五面を描いた。俗に応挙寺と呼ばれる。

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日本歴史地名大系 「大乗寺」の解説

大乗寺
だいじようじ

[現在地名]金沢市長坂町

くらヶ岳山系北端、野田のだ山の北西麓に位置する。椙寿林東香山金獅峰などと号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。歴代加賀守護をつとめた富樫氏が居館を置いた押野おしの庄内野市ののいち(現野々市町)に創建され、戦国末期まで同地に所在したが、近世に入り金沢城下に移り、元禄一〇年(一六九七)現在地に移転した。このときに拝領した寺地は、それまで寺地てらじ村の持山(同村飛地)であったため寺地山とも称されていた。

寺伝によれば弘長三年(一二六三)富樫家尚が野市に一寺を建立し、真言僧澄海を住持させたのが草創といい、正応四年(一二九一)澄海は禅院に改め、越前永平寺三世徹通義介を招いて開山としたという(貞享二年寺社由緒書上など)。なお開創年次については正応二年あるいは弘安六年(一二八三)とする説もある。その後瑩山紹瑾が二代となり、嘉元四年(一三〇六)までに前住義介より嗣書などを譲られている(同年八月二八日「義介附法状」寺蔵文書、以下断りのない限り同文書、同年一一月三日「義介附法状」広福寺文書)。紹瑾は応長元年(一三一一)明峰素哲に住持職などを譲り(同年一〇月一〇日「紹瑾附法状」広福寺文書)、正和二年(一三一三)能登永光ようこう(現羽咋市)を開く(「洞谷記」、「永光寺中興雑記」永光寺文書など)。以後瑩山門流の中心拠点は同寺に移っている。一方、素哲が遍歴修行を志したため、当寺は臨済(法灯派)僧恭翁運良に託された。このとき瑩山門流との間に何らかの確執があったらしく、元享三年(一三二三)一〇月九日の山僧遺跡寺々置文(写、永光寺中興雑記)で紹瑾は運良を「不如意僧」とよび、当寺は瑩山門徒中の高僧が住持興行すべきと主張している。運良はまもなく当寺を退き(一説に嘉暦三年)、白山下真光寺へ移ったという(名僧行録)。正中二年(一三二五)紹瑾は素哲を自己の遺跡の僧録として(同年八月一日紹瑾置文)、永光寺を譲ったが(同月八日紹瑾譲状)、素哲は建武四年(一三三七)永光寺を退き当寺に住した(「安楽山産福寺年代記」浄住寺文書、「延宝伝灯録」)


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]宮津市字中野

中野なかのの中央部、妙立みようりゆう寺の東にある。北に阿弥陀あみだヶ峰を望む。

浄土宗、鉾立山と号し本尊阿弥陀如来。寺伝によれば貞観五年(八六三)利生の開山で、のち大破に及んだが寛弘年中(一〇〇四―一二)寛印供奉が伽藍を重修したという。「丹後与謝海図誌」は「寺記に(中略)寛弘年中寛印供奉恵心僧都来迎講会儀式執行於国府天橋立」と記す。


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]香住町森

もり集落の東の台地の南西部に位置する。亀居山と号し、高野山真言宗。本尊は伝行基作の木造聖観音立像(国指定重要文化財)。円山応挙ゆかりの寺で、応挙おうきよ寺の名で知られる。享保一八年(一七三三)の観音客殿之勧化帳(寺蔵)によると天平一七年(七四五)行基の開創と伝える。この頃の寺歴については不詳であるが、建武元年(一三三四)「但馬国美含庄大乗寺住侶」の越前公観俊と備後公学俊の二人が、修験の行者として入峯(大和大峯山か)している(同年八月一〇日「但馬国大乗寺檀那願文」熊野本宮大社文書)。中世の当寺は修験道と関係が深かったことが判明する。正平一三年(一三五八)四月三日には、左衛門少尉直連が竹野たかの(現竹野町)弥吉名内六〇貫文の下地を「大乗寺御道場」に寄進している(興長寺文書)。この道場は時宗竹野興長こうちよう寺の前身で、弥吉名内の下地も同寺の基本寺領となる。


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]吉田町立間

立間たちま村のうち本村ほんむら南部に位置し、裏山一帯は寺地でうっそうたる森林に覆われ、参道には老杉が並んでいる。臨済宗妙心寺派に属する禅道場。玉鳳山と号す。本尊釈迦牟尼仏。

寺名の初見は妙徳寺大般若経奥書で、その第二一七巻に「立間玉鳳山乗禅寺之住持比丘橘朝臣継本敬白云々、時応永念九年閏十月四四四日」とあるが、その「玉鳳山乗禅寺」は誤記と思われ、同第三八七巻では「予州宇和庄立間郷大乗寺住持沙門継本、応永三十年二月六日」となっている。

創建年代は明らかでない。「歯長寺縁起」「宇和旧記」「吉田古記」などに天台宗と思われる立間村大光寺の名がみえ、これを大乗寺の前身とし、元徳二年(一三三〇)を再興とする説もあるが、定説とはなっていない。


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]御殿場市仁杉

仁杉ひとすぎ集落の西部に位置する。広智山仏心院と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀三尊。寺伝や延宝八年(一六八〇)の仁杉村差出帳写(仁杉区有文書)などによると、文明年中(一四六九―八七)の創建で、開山は光誉常照、開基は印野いんのを開いた勝間田八郎右衛門の先祖といわれ、本尊阿弥陀三尊のうちの観音菩薩は印野の傘穴かさあなという洞窟から出現したとの伝承がある。


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]吉備町徳田

下徳田しもとくだにある。祇尼山深政院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。もと浄土宗鎮西派京都黒谷金戒光明くろだにこんかいこうみよう(現京都市左京区)末。「続風土記」によれば、金戒光明寺一九世性誉法山が熊野参詣の途中、宮原みやはら(現和歌山県有田市)に滞留して教えを広めたが、聴聞した畠山尚政の家臣宮本子助が帰依してその教えを尚政に勧めた。尚政は弟の石垣いしがき鳥屋とや(現同県金屋町)城主畠山深政とともに、荘内の当地に一宇を創建、性誉を開祖とし、源性寺と号したという。


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]八幡町中坪

小駄良こだら川右岸の山麓、字向山むかいやまにある。清水山と号し、郡上郡内唯一の日蓮宗寺院。本尊は題目宝塔。口伝によると、越前朝倉家の落武者清水三右衛門が小駄良郷中桐なかぎり村に草庵を建て、法華坊と名乗ったが、天正年中(一五七三―九二)京都妙覚みようかく(現京都市上京区)二〇世日乾に帰依し、日了と改名して末寺大乗寺となった。当寺二世日能の代に八幡城主遠藤慶利から城下近くに寺地を寄進され、慶長八年(一六〇三)現在地へ移った。


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]篠山市追入

きん山の南麓にある。高野山真言宗。大宝山と号し、本尊は薬師如来。もと山頂にあり、法道の開創と伝えるが、のち天台宗に改められたという。文安五年(一四四八)の地震で堂宇が倒壊、金堂を現在地に移している。天正年間(一五七三―九二)明智光秀の軍勢により兵火にかかって焼失、寺僧も討死したとされる。廻国中の高野山宝城ほうじよう(現和歌山県高野町)の快祐が復興させようと、慶長二年(一五九七)八上やかみ城代に出願したところ大山上おおやまかみ村百姓中に相談することとされた(西尾家文書)


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]上磯郡知内町字元町

知内川の下流南岸にある浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。古くは順故庵と称し、文化六年(一八〇九)の村鑑下組帳(松前町蔵)によると法界ほうかい(現福島町)の末寺。建立年代は不詳であるが、境内墓地にある墓碑銘に「享保九年」と刻まれたものがあることから、寺伝にいう宝永三年(一七〇六)の建立は妥当と考えられる。


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]久遠郡大成町字都

日本海に面した海岸段丘にある真宗大谷派寺院。久遠山と号し、本尊阿弥陀如来。一八五八年(安政五年)尾張国古川ふるかわ(現愛知県立田村)専随せんずい寺の次男石原智広が函館本願寺別院境内に大乗坊を創立したのに始まる(寺院沿革誌)


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]余市郡余市町入舟町

余市川左岸、大川おおかわ橋の西にある。曹洞宗。金竜山と号する。本尊釈迦如来。明治二八年(一八九五)琴平ことひら永全えいぜん寺に安居していた金沢玄外が発願、大川町の有志に賛同と喜捨を受けて堂宇を建設、曹洞宗説教所とした。信徒は当初六〇戸ほどであったが、布教の熱意により帰依者が増え、同三六年本堂の新築に着手、日露戦争後に落成。


大乗寺
だいじようじ

[現在地名]下関市大字豊浦町

長府の市街地を東流する鞏昌きようしよう川の南にあり、旧山陽道に面する。浄土宗で願海山と号し、本尊は阿弥陀如来。

開基は長府藩初代藩主毛利秀元、開山は摂津国の一得恵林。永禄元年(一五五八)恵林が当国へ下向の際、秀元の命により建立し恵称えしよう寺と称したのに始まる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大乗寺」の意味・わかりやすい解説

大乗寺(石川県)
だいじょうじ

石川県金沢市長坂(ながさか)町にある曹洞(そうとう)宗の寺。正式には東香(とうきょう)山大乗護国禅寺(だいじょうごこくぜんじ)といい、金獅峯椙樹林(きんしほうしょうじゅりん)ともよばれる。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1263年(弘長3)加賀(かが)国守富樫家尚(とがしいえひさ)が石川郡野々市(ののいち)村(現、野々市市)に一堂を建立し、真言(しんごん)宗の澄海(ちょうかい)を招いて開基としたのが始まりで、のち1289年(正応2)澄海が帰依(きえ)した永平寺3世徹通義介(てっつうぎかい)にこの寺を譲り、開山として以来、曹洞宗となった。その後、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が継いで大いに栄え、足利尊氏(あしかがたかうじ)が祈願所としてのち室町幕府の祈願所となり、のち後柏原(ごかしわばら)天皇(在位1500~26)の勅願所となった。曹洞宗の「日本第二の寺」として崇(あが)められたが、富樫氏の滅亡などで一時衰微した。江戸時代に金沢付近をたびたび移転、1697年(元禄10)現在地へ移る。寺宝の『三代嗣法(しほう)書』『韶州曹渓山六祖壇経(しょうしゅうそうけいざんろくそだんきょう)』『仏果碧巌破関撃節(ぶっかへきがんはかんげきせつ)』(一夜碧巌集)上下2冊、道元(どうげん)筆の『羅漢供養(らかんくよう)講式稿本断簡』などは国の重要文化財に指定されている。

[菅沼 晃]


大乗寺(兵庫県)
だいじょうじ

兵庫県美方(みかた)郡香美(かみ)町にある高野山(こうやさん)真言(しんごん)宗の寺。亀居(ききょ)山と号し、俗に応挙寺とよばれる。行基(ぎょうき)の開創と伝えられ、室町時代には山名氏の帰依(きえ)を受けて寺門が興隆したが、その後衰微し、寛政(かんせい)の初め(1790ころ)密英(みつえい)が諸堂を再興した。密英は応挙と親交があり、彼に旅費を施したこともあったが、たまたま応挙が諸堂の再興を聞き、旧恩に報いるために門人を伴って来寺し、襖(ふすま)、屏風(びょうぶ)、掛軸などに多く描いた。現在、本堂、薬師堂、山門、客殿、宝庫、庫裡(くり)があり、寺宝には平安後期の木造聖観音(しょうかんのん)立像、同十一面観音立像、また応挙の紙本墨画山水図4枚、紙本着色郭子儀図襖8枚、紙本墨画孔雀図(くじゃくず)襖16枚などの国重要文化財がある。

[勝又俊教]

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改訂新版 世界大百科事典 「大乗寺」の意味・わかりやすい解説

大乗寺 (だいじょうじ)

兵庫県美方郡香美町の旧香住町にある高野山真言宗の寺。山号は亀居山。745年(天平17)に行基が開いたと伝える古刹。客殿の襖絵が円山応挙の《郭子儀(かくしぎ)図》《孔雀図》《山水図》のほか,呉春(ごしゆん),長沢蘆雪,源琦(げんき),円山応瑞,山本守礼,亀岡規礼ほかの円山四条派の作家たちの作品で埋めつくされ,応挙寺の俗称で呼ばれる。当寺の中興密英が無名時代の応挙を援助したため,応挙が再興に協力し弟子たちがそれにならったもので,円山四条派一派の描いた襖絵などは165面に及び,屛風,衝立(ついたて),掛軸などもある。観音堂(本堂)の本尊観音立像は檜材一木造で平安後期の作,〈お前立ちの観音〉も檜材一木造のさらに古様の聖観音立像で,客殿の内仏の十一面観音立像とともに3体とも重要文化財である。
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百科事典マイペディア 「大乗寺」の意味・わかりやすい解説

大乗寺【だいじょうじ】

金沢市長坂町にある曹洞宗の寺院。本尊釈迦如来。初め,1263年富樫家尚が石川郡野市(ののいち)に建立。真言宗,のち徹通義介によって曹洞宗となる。1300年瑩山(けいざん)が〈伝光録〉をここで開講した。1695年火災のため現在地に移建。仏殿,仏果碧巌破関撃節などの重要文化財がある。
→関連項目興聖寺

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デジタル大辞泉プラス 「大乗寺」の解説

大乗寺〔石川県〕

石川県金沢市にある寺院。曹洞宗。山号は東香山。13世紀に真言宗の寺として建立。のちに徹通義介(てっつうぎかい)(1219~1309)により改宗して開山。仏殿は国の重要文化財に指定。

大乗寺〔兵庫県〕

兵庫県美方郡香美町にある寺院。高野山真言宗。山号は亀居山。745年開創と伝わる。江戸時代中期~後期の絵師、円山応挙やその弟子の作品を多く所蔵することから「応挙寺」とも呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内の大乗寺の言及

【吉田[町]】より

…東小路にある安藤神社は,1793年(寛政5)吉田藩領で武左衛門一揆が起こった際,その責を負って切腹した家老安藤継明をまつる。立間の大乗寺は藩主伊達氏の菩提寺で,地蔵堂には,干ばつの際,田に水を引いたという伝説のある水引地蔵を安置する。町内を予讃線と国道56号線が縦断する。…

【呉春】より

…この池田時代,呉春は蕪村から学んだ技法に平明な自然観察を加味して,新しい画風を確立した。5年後帰洛した呉春は円山応挙と関係を深め,87年応挙が指揮した香住(兵庫県)の大乗寺障壁画制作に参加,その後画風上でも応挙の写生画の影響を受け,95年(寛政7)の第2次大乗寺障壁画制作では応挙の技法を完全に習得,蕪村画風との統一を試み,さらに洒脱味の強い画風へと進んだ。また彼は多芸な人物として知られ,菅茶山,上田秋成ら京都の知識人との親交があった。…

※「大乗寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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