日本歴史地名大系 「常喜院」の解説 常喜院じようきいん 和歌山県:伊都郡高野町高野山南谷常喜院[現在地名]高野町高野山南(みなみ)谷の東部北端、大師教会の北東、六時鐘楼(ろくじのしようろう)の南西にあり、本尊地蔵菩薩。古くは往生院(おうじよういん)谷にあり往生院谷聖の寺であったが、江戸時代は行人方の一院。元禄年中(一六八八―一七〇四)に小田原(おだわら)谷の枝谷浄土院(じようどいん)谷入口西側に移転、元治元年(一八六四)の火災で類焼、明治三年(一八七〇)来迎(らいごう)院・三室(みむろ)院を併せて現在地に移転した。開基は仏種坊心覚。鎌倉時代の信堅院号帳に「心覚阿闍梨之居所也」とある。心覚は奈良東大寺の学僧で小野諸流・保寿院流などの密教事相(修法の仕方)を受け、広沢流の一派常喜院流を開いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by