日本歴史地名大系 「平坂寺跡」の解説 平坂寺跡ひらさかじあと 広島県:豊田郡本郷町船木村平坂寺跡[現在地名]本郷町船木 平坂古代末期から沼田(ぬた)庄の中心寺院であった真言宗楽音(がくおん)寺と関係深い寺院の一つで、所在地の地名によって平坂寺とよばれた。永仁五年(一二九七)一〇月二二日の地頭尼某下知状(東禅寺文書)にみえる蟇沼(ひきぬ)寺(東禅寺)院主職をめぐる争論のなかに、他領の平坂へ行き、平坂寺に居住している僧は院主職を主張する権利はないとある。正和三年(一三一四)五月一八日付一宮修正会勤行所作人注文(蟇沼寺文書)によると、一宮(現三原市の一宮豊田神社)修正会の初夜導師には平坂寺があたっており、守護人三人のうちにも平坂寺がみえる。継目安堵御判礼銭以下支配状写(小早川家文書)の文明一二年(一四八〇)一〇月分に「御判御礼銭之事」として「一貫文 平坂寺」とあり、同一九年八月二日分に「一貫文 平坂寺御折かミ御礼銭」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by