平安京左京六条三坊五町(読み)へいあんきようさきようろくじようさんぼうごちよう

日本歴史地名大系 「平安京左京六条三坊五町」の解説

平安京左京六条三坊五町
へいあんきようさきようろくじようさんぼうごちよう

[現在地名]下京区上柳町

平成一六年(二〇〇四)から一七年にかけて京都市立尚徳中学校しようとく楊梅ようばい幼稚園跡地で実施した発掘調査で、一四世紀から一五世紀頃に大甕を三六四個以上も据付けた痕跡を発見した。また、同時期の井戸や掘立柱建物、土壙なども検出した。この遺構は室町時代の楊梅小路の南側に位置し、敷地は間口約東西三〇メートル、奥行二〇メートル以上あった。大甕を据付けた遺構は、室町時代当地付近に酒屋があったという史料(応永二六年一〇月一日「証文」北野天満宮文書など)から、酒の醸造に使用されたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む