醸とは,樽や酒つぼを意味する酉(ゆう)の字と,なかに物をつめる意の襄(じよう)の字をあわせたもので,酒つぼなどの容器に原料を仕入んで,酒,食酢,みそ,しょうゆなどを醸(かも)すことを意味する。カビの胞子がとび散るさまから麴(こうじ)のことを〈加無太知(かむたち)〉とよび(《和名抄》),かむたちをまぜて酒を造ることを〈醸(かすも)〉といった(《古事記伝》)。また口で米を〈㕮咀(かみ)て〉酒を造ったという《大隅国風土記》の記録を引用して醸は〈嚼(かむ)〉に通ずるとする説もある(《和訓栞》)。個々の製品の醸造を意味する外国語はあるが,醸造そのものに相当する適切な外国語はない。しいて翻訳すればビール醸造を意味する英語のbrewing,ドイツ語のBrauereiに〈物を混合すること,仕込むこと〉の意があり,醸造にあたろう。
微生物を利用し,発酵で物を製造するという意味で,醸造は発酵工業の一分野である。しかし,微生物が発見され,発酵が微生物によって起こることがわかったのは19世紀後半であり,現在の発酵工業の隆盛を可能にしたものは,醸造によって長く培われてきた技術なのである。発酵工業のなかの醸造は,民族固有の嗜好飲食品を,微生物を利用した伝統的技術で製造することと定義されよう。
酒などの醸造物の誕生や醸造技術の形成には,気候風土,民族の信仰,生活習慣などが大きく関係している。冬は多湿で夏は高温乾燥の地中海気候は,ムギ類の栽培に好適であるがカビは生えにくい。そこに発芽麦すなわち麦芽のデンプン糖化力を利用した穀物の酒であるビールが生まれた。夏に高温多湿な照葉樹林帯ではカビが生えやすく,穀物原料にカビを生やした麴を糖化剤とした醸造法が,ヒマラヤ地域から中国北部,日本,東南アジアまで広がっている。ブドウの栽培は西アジアにはじまり,その栽培地は緯度では北緯30°~50°,南緯20°~40°の間,年間平均気温9~21℃の乾燥地帯に分布している。イスラエル周辺の乾燥地帯の民俗資料でもある聖書に,ブドウ酒が発酵未終了の果汁とともに散見されるのは,これらが砂漠の民の渇きをいやす飲料であったことを物語っている。ブドウ果汁を革袋につめて旅すれば自然に発酵してブドウ酒になる。
中近東,ヨーロッパの食形態は粉食でパンを主食とする。前4000年ころ,メソポタミアの地でシュメール人がつくったビールは,オオムギの麦芽と脱穀したエンマコムギをまぜて粉にひき,水とねってビールパンを焼き,これに水を加え,つき砕き発酵させてつくった。前漢のころ,パンコムギと製粉技術がシルクロードを経由してもたらされるまで,中国には穀物を生のまま粉にひく習慣はなかった。煮た穀物を乾燥し,あらびきした糗(きゆう)(擂砕糗(らいさいきゆう))はあったが,主食穀物であるアワやキビは粒のまま蒸して食べた。酒の原料は主食穀物であるキビがよいとされ,麴(こうじ)として麴蘖(きくげつ)が使われた(《書経》《礼記》)。麴(きく)は糗をねりかためてカビをつけた餅状のもの(餅麴(もちこうじ))で,蘖は蒸した穀粒にカビをつけた撒麴(ばらこうじ)と推定されている。日本の酒,みそ,しょうゆの醸造に用いられている麴は蘖にあたる。粉食習慣が完全に定着した6世紀初頭,賈思勰(かしきよう)が著した《斉民要術》に挙げられた30余種の酒に用いられた麴は,主としてコムギを原料とし,生麦(なまむぎ),炒麦(いりむぎ),蒸麦(むしむぎ)の粉を混合してつくった餅麴で,蒸丸麦(むしまるむぎ)や煮たダイズにカビをつけた撒麴は黄衣(おうい)とよばれ,もっぱら麦醬(むぎひしお)や鼓(くき)などの調味料の製造に使われている。粒食から粉食への食習慣の変革が,醸造に不可欠な麴の型を変化させたものといえよう。
古代人にとって加熱もしないのに自然に泡をふきあげる発酵という現象や,発酵物が人を酔わせる力はふしぎなできごとであり,これに呪術(じゆじゆつ)的意義を感じた。原始宗教の儀式をつかさどったのが多く女性であったように,儀式に使われる神聖な酒をつくるのは女性の役割であった。古代中国の宮廷で〈酒人〉として酒造に従事したのも女性であった(《周礼(しゆらい)》)。環太平洋地域に広く分布していた口嚼酒(くちかみのさけ)は,穀物やいものデンプンを唾液(だえき)の酵素で糖化し発酵させたものであるが,これを嚙(か)むものは女性,とくに処女がえらばれている例が多い。平安初期に編纂(へんさん)された《延喜式》によれば,新嘗会(しんじようえ)の祭りに使われた白貴(しろき),黒貴(くろき)の酒は,舂稲仕女(つきしねのしによ)がその年の新穀を杵でついて仕込んでいる。室町時代まで女子が酒造に従事することが多かったが,女人禁制の寺社で酒がつくられるようになって,酒蔵は女人禁制という習慣が生まれたものと思われる。
技術的にみると,原料をそのまま,あるいは圧砕,ろ過して貯蔵するだけで自然に発酵がはじまるブドウ酒などの果実酒,ヤシ酒などの樹液酒,馬乳酒などの乳酒は,発酵中腐ることがなければ,古代人にとって容易につくることのできる酒であったと思われる。穀物や根栽作物などのデンプン質を原料とする酒は,デンプンを糖に変える発酵のほかに糖化工程を必要とし,その原始的なものはデンプンを加熱によって分解し発酵させる焙焼(ばいしよう)酒と,唾液の酵素力で糖化する口嚼酒があり,さらに麦芽などの発芽穀類やカビを生やした麴の酵素力を利用した高度の醸造へと進化していったものであろう。一方,醸造の成否は有用微生物をいかに自然界から取りこみ,腐敗の原因となる有害微生物の侵入をいかに防ぐかにかかっており,微生物の存在すら知らなかった時代の醸造は失敗を繰り返しながら長い年月をかけて,有用微生物の自然純粋培養法を経験的に確立したものといえよう。1683年オランダのA.vanレーウェンフックは手製の顕微鏡で微生物の存在を発見した。しかし,微生物と発酵や腐敗との因果関係はその後も長いことわからなかった。1857年L.パスツールは北フランスのリールで,その地の重要産業の一つであるテンサイ糖からのアルコール製造における酸敗に注目して,乳酸発酵について研究し,これが細菌の作用によるものであると考えた。彼はさらに78年アルボアのブドウ畑で行った実験で,ブドウ果汁のアルコール発酵は,ブドウに付着している酵母によって起こることを実証した。またドイツのR.コッホとデンマークのハンセンEmil Christian Hansenは独自に微生物を単離し,純粋培養する方法を確立した。ハンセンはビールの変質が,パスツールがみたような細菌による変敗のほか,野生酵母によっても起こされることを認め,優良なビール酵母を分離し,83年これを用いて純粋培養方式によるビール醸造法を開発した。この技術はカールスベルク醸造所の製品を向上させ,諸外国の醸造業者も次々とこの方式を採用した。優良な醸造酵母を醸造業者の求めに応じて配布する保存センターも,パスツール研究所などに設けられている。日本では明治初年,政府の招聘(しようへい)した欧米の科学者たちによって,醸造をささえる伝承的技術に科学のメスが加えられた。すなわちアトキンソンRobert William Atkinsonは化学的見地より清酒醸造を調査した。清酒,みそ,しょうゆの醸造に重要な役割を果たしている麴についても,アールブルグHermann Ahlburgは麴をつくるカビを分離し,命名した。さらにO.ケルナーは麴の酵素の性質を調べている。これらの研究は,日本の醸造を近代科学の手段を用いて解明する契機となり,優良醸造酵母が次々と分離され,純粋培養した酵母を用いた醸造法が開発され,普及していった。従来もっとも多くの人手と労力を必要とした麴の製造が機械化され,自動化された昭和30年代後半以降,原料処理工程の連続化,仕込み規模の大型化が進み,ビール産業と同様日本の醸造業もしだいに装置産業化しつつある。
→麴
執筆者:菅間 誠之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
食品材料を微生物によって発酵させ、さらに熟成させる工程をいう。主として、酒類、みそ、しょうゆ、酢などをつくる工程がそれに属する。醸造の醸は醸(かも)すという意味で、噛(か)むまたは黴(かび)すから発生した語。煮た、あるいは蒸した穀物を口で噛み、容器に入れておくとカビの作用で発酵が進み酒になったところからきたものである。唾液(だえき)にはアミラーゼとよばれるデンプン糖化酵素があるから、これを利用してデンプンを糖にし、これに種(たね)酵母を植えるか、自然に入った酵母により発酵させた。この糖化には、現在ではコウジカビでつくった麹(こうじ)、あるいは麦芽に含まれる糖化酵素などが利用されている。しょうゆやみそでは、強力なタンパク質分解酵素を含んだコウジカビが使用される。また酢では酢酸菌が利用されている。
いったん発酵が進み落ち着いた発酵物は、さらに酵素や微生物の働きによって非常に微妙な変化を遂げ、味がよくなっていく。この過程を熟成とよんでいる。つまり醸造は微生物によって発酵させるだけでなく、熟成の過程も含んでいる。
醸造の過程では、ものによるが、デンプンあるいは糖類からはアルコールや酸が、タンパク質からはアミノ酸などがつくられ、これが醸造品の特殊な風味を形づくる。したがって、こういった有用な成分がうまくできていくように、温度管理をはじめ、湿度、外気との関係、攪拌(かくはん)といった各種の工程管理が必要である。以前は自然環境に任されていた場合が多かったが、現在では、規模が大きいところでは、温度、湿度などを醸造に適した条件にする環境づくりを機械的にコントロールすることが行われている。
[河野友美・山口米子]
『野白喜久雄・吉沢淑・鎌田耕造・水沼武二・蓼沼誠編『醸造の事典』(1988・朝倉書店)』▽『井上喬著『やさしい醸造学』(1997・工業調査会)』▽『吉沢淑・石川雄章・蓼沼誠・長沢道太郎・永見憲三編『醸造・発酵食品の事典』(2002・朝倉書店)』▽『東和男編著『発酵と醸造4 食用作物の醸造適性(醸造は微生物と農業の結束帯)』(2006・光琳)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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