平岡町(読み)ひらおかちよう

日本歴史地名大系 「平岡町」の解説

平岡町
ひらおかちよう

下京区加茂川端正面上ル

町の東は鴨川に面し、西隣は富松とみまつ町。

平安京条坊では左京七条四坊四保一五町東南、平安中期以降は七条坊門東京極大路東北の地。町域は平安時代の左大臣源融の別荘河原院かわらのいんの一部にあたる(拾芥抄)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「平岡丁」とみえる。雑色支配の耕地であったが、宝永三年(一七〇六)町地となり、「六条新地」とよばれる遊郭地となったと「坊目誌」は記すが、旧名六条新地八町略図(荻野家文書)にも当町は記される。


平岡町
ひらおかまち

[現在地名]弘前市平岡町

岩木川東岸沿いで、駒越こまごし町の北側にあり、城の西側に位置する。宝永(一七〇四―一一)の三の郭住宅移転の際に、新たに屋敷を与えられた藩士たちが移住してきた町で、国日記正徳元年(一七一一)四月一二日条によれば、駒越町の新割町屋敷として町名を付けられた。寛政一二年(一八〇〇)の分間弘前大絵図(市立弘前図書館蔵)には、武家屋敷が二五軒。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android