平岩村(読み)ひらいわむら

日本歴史地名大系 「平岩村」の解説

平岩村
ひらいわむら

[現在地名]日向市平岩

赤岩あかいわ川を挟んで財光寺ざいこうじ村の南に位置し、東は日向灘に面する。豊後街道が縦断する。「上井覚兼日記」天正一三年(一五八五)四月八日条によると、宮崎地頭上井覚兼は塩見しおみ日知屋ひちや門川かどがわ(現門川町)の三城地頭の吉利忠澄訪問のため、船で高城たかじよう(現木城町)を通り平岩へ向かい、途中、高城地頭山田有信も同道して平岩へ着いた。平岩では吉利忠澄の狩に参加している。平岩には湊があったことが知られる。同年八月二七日三城方面を訪れていた島津家久の帰国に際し、吉利忠澄は平岩の松原まで家久を送り宴席を設けた(上井覚兼日記)。このときも平岩から船が利用された。


平岩村
ひらいわむら

[現在地名]津久見市上青江かみあおえ 平岩

道尾みちの村の北、青江川の下流左岸、水晶すいしよう山の西に位置し、北は徳浦とくうら村。江戸時代は臼杵藩領で、初め津久見村組(慶長一一年惣御高頭御帳)、のち道尾組に属した(「臼杵藩御会所日記」など)。慶長二年(一五九七)の臼杵庄検地帳写(渡辺家文書)に村名がみえ、高七五石余(田方三三石余・畑方四一石余)、村位は上。


平岩村
ひらいわむら

[現在地名]瑞浪市日吉町ひよしちよう 平岩

白倉しらくら村の北にあり、中山道が東西に通る。可児かに川支流平岩川が南へ流れる。東は細久手ほそくて村。村名は村中央にある平らな巨岩にちなむという。日吉一二ヵ村の一で、臼井本元禄郷帳に村名がみえ高六八石余、尾張藩領。中山道細久手宿助郷を勤める。「濃州徇行記」によれば高八五石、田五町九反余・畑二町、家数四四・人数一二五、馬三。


平岩村
ひらいわむら

[現在地名]古川町平岩

四周を山に囲まれ、南は高野たかの村、西は畦畑うねはた村。村名は岩石がちの広い傾斜地の意か。慶長一八年(一六一三)の飛騨国郷帳では小鷹利こたかり郷に属し、高五一石余。元禄検地反歩帳では高二八石余、田三町四反余・畑一町二反余。「飛騨国中案内」では免五割三分四厘余、家数一〇(うち百姓八・地借二)。天明八年(一七八八)の村明細帳によれば、安永午新田は田一町八反余・畑八反余で、家数一二・人数六〇、馬一〇。


平岩村
ひらいわむら

[現在地名]小原村平岩

現小原村の東端にあり、大草おおくさ松名まつなを通る松名道が通ずる。村内には宝篋印塔五基と五輪塔六基がある。天和元年(一六八一)には伊保藩領、明治元年(一八六八)豊橋藩領である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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