日本歴史地名大系 「平島郷」の解説
平島郷
ひらじまごう
現那賀川町南半部一帯に比定される。単に平島と記される場合は那賀川河口部左岸のもっと狭い地域をさすとみられる。延喜二二年(九二二)四月五日の奥付を有する和泉国大鳥神社流記帳(大鳥神社文書)に「所領田畠五百拾余町、在阿波国
・修造坊菅昌能連署請文写(古今消息集)には「阿波国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現那賀川町南半部一帯に比定される。単に平島と記される場合は那賀川河口部左岸のもっと狭い地域をさすとみられる。延喜二二年(九二二)四月五日の奥付を有する和泉国大鳥神社流記帳(大鳥神社文書)に「所領田畠五百拾余町、在阿波国
・修造坊菅昌能連署請文写(古今消息集)には「阿波国
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