平沢I遺跡(読み)ひらさわIいせき

日本歴史地名大系 「平沢I遺跡」の解説

平沢I遺跡
ひらさわIいせき

[現在地名]久慈市長内町

麦生むぎゆう段丘に相当する海岸段丘面にある。標高約一〇八メートル。発掘調査は昭和六二年(一九八七)に行われ、縄文時代の竪穴住居跡八棟、ピット一九基、落し穴状遺構二八基、奈良時代の竪穴住居跡二棟、平安時代の竪穴住居跡一二棟などが検出された。縄文時代の竪穴住居跡は前期が六棟、後期が二棟。前期住居跡の平面形は隅丸長方形・円形で、規模は最大のものが七・二×四・九メートル、最小のものが二・八×二・四メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む