平沼田村(読み)ひらんたむら

日本歴史地名大系 「平沼田村」の解説

平沼田村
ひらんたむら

[現在地名]かつらぎ町平沼田

寺尾てらお村の西にあり、紀ノ川左岸から南部山地にかけて集落が散在。応永二六年(一四一九)九月日付の段銭棟別納日記(又続宝簡集)によると、「小河内棟別」六二間分のうち九間分四五〇文が平奴田ひらんたに課されており、高野山領六箇七ろつかしち郷内小河内おごうち郷に属していた。天正二〇年(一五九二)八月四日の豊臣秀吉朱印状(続宝簡集)では「川張平野田」の一七二石が高野山領とされている。

江戸時代は高野山行人領に属し、「続風土記」によれば、村高一〇九石余、家数二六、人数九三、社寺として祇園牛頭天王ぎおんごずてんのう社・八王子社、八王子山阿弥陀あみだ寺・霊松山地福じふく(高野山真言宗)があり、旧家として安永七年(一七七八)高野山寺領内百姓一揆の際に「村方鎮撫宜きを得たりとて官より銀七枚」を賜った金川蔵之丞をあげる。


平沼田村
ひらぬまたむら

[現在地名]西吉野村大字平沼田

銀峯ぎんぶ山の北方百谷ももだに村の南に位置する。現地では「ひらんた」という。古田ふるた郷のうち。慶長郷帳では村高二三三・四一二石、幕府領(代官楢村監物)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android