平田 兼三
ヒラタ ケンゾウ
大正・昭和期の劇作家,演出家
- 生年
- 明治27(1894)年3月4日
- 没年
- 昭和51(1976)年10月1日
- 出生地
- 東京・本郷
- 本名
- 平田 兼三郎
- 学歴〔年〕
- 京華商業卒
- 経歴
- ソビエトに渡り大正4年帰国。小山内薫の新劇場に参加したのを機に劇界に入り、5年歌舞伎座の作者部屋に入り、間もなく浅草の吾妻座作者責任者となる。昭和6年前進座の創立にともない前進座に移る。脚色ものは多いが、著書に「歌舞伎演出論」(昭18)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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平田兼三 ひらた-けんぞう
1894-1976 大正-昭和時代の劇作家。
明治27年3月4日生まれ。大正5年小山内(おさない)薫の新劇場に参加。歌舞伎座,浅草の吾妻(あづま)座をへて,2代市川猿之助の春秋座の作者となる。昭和6年創立された前進座の文芸部にはいった。昭和51年10月1日死去。82歳。東京出身。京華商業卒。本名は兼三郎。作品に「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」「左の腕」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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