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前進座 ぜんしんざ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

前進座
ぜんしんざ

1931年に河原崎長十郎中村翫右衛門,中村亀松 (のちの鶴蔵) ,市川笑也 (5世河原崎国太郎) らによって結成された劇団。松竹の独占的興行姿勢に抵抗し,劇団内封建性の打破,劇団の民主的運営を基本にした。 32年新橋演舞場出演の機会を得て,『シーボルト夜話』『勧進帳』などの上演声価を得た。また『阿部一族』などのすぐれた時代劇映画の制作に参加,真山青果作『元禄忠臣蔵』の系統的上演で,特異な大衆的劇団としてその位置を定めた。 49年全員が日本共産党に入党。 67年長十郎が思想上の相違により脱退。その後,翫右衛門を中心として活動を続けた。 82年 10月創立 50周年を記念して,東京吉祥寺に前進座劇場が落成。中村梅之助ら第2世代を中心に,歌舞伎や商業演劇,新劇の中間をとる大衆演劇を主として幅広いレパートリーを組む。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

前進座

歌舞伎界の門閥制などに反発した中村翫右衛門、河原崎長十郎ら若手役者たちが、新しい大衆劇を目指して1931年に結成した。37年に武蔵野市吉祥寺に前進座演劇映画研究所を開設。以後、吉祥寺を拠点としている。

(2011-05-04 朝日新聞 朝刊 東京西部 1地方)

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デジタル大辞泉の解説

ぜんしん‐ざ【前進座】

劇団。昭和6年(1931)歌舞伎俳優の河原崎長十郎・中村翫右衛門(なかむらかんえもん)らが結成。歌舞伎のほかに新劇も上演し、独自の活動を展開。

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百科事典マイペディアの解説

前進座【ぜんしんざ】

歌舞伎俳優の河原崎長十郎中村翫右衛門,中村鶴蔵らにより,1931年結成された劇団。歌舞伎界の因習を改革し,民主的な組織と経理の公開,生活と密着した演劇活動を目的とする。
→関連項目瀬川菊之丞

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世界大百科事典 第2版の解説

ぜんしんざ【前進座】

劇団。1931年5月,2世河原崎長十郎や3世中村翫右衛門らの歌舞伎界の門閥制度に不満を抱く俳優が,待遇問題に端を発して松竹を脱退,民衆の進歩的要求に適合する演劇創造を目標に掲げて,翌月市村座で《歌舞伎王国》ほかで旗揚公演を行った。37年6月演劇映画研究所を建設して集団生活の拠点をつくり,歌舞伎十八番物,鶴屋南北劇,真山青果の史劇長谷川伸の大衆劇に劇団の色彩を発揮した。第2次世界大戦後,青年劇場運動で注目されたが,49年共産党に集団入党し,民族文化の改良と創造を唱えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

前進座
ぜんしんざ

劇団名。歌舞伎(かぶき)界の封建制に飽き足らぬ河原崎(かわらさき)長十郎、中村翫右衛門(かんえもん)、中村亀松(のち鶴蔵)らの俳優が、それぞれいくつかの試みを経て、1931年(昭和6)5月結成。プロレタリア演劇の村山知義(ともよし)、小野宮吉らも変名で参加した。民主的な劇団運営のもとに「広汎(こうはん)な民衆の進歩的要求に適合する演劇の創造」を課題とした。同年6月に村山作・土方与志(ひじかたよし)演出『歌舞伎王国』などの演目で旗揚げしたが、当初は興行的に成功せず、脱退者も出た。32年『仮名手本忠臣蔵』の上演以後、歌舞伎の批判的継承を公演活動の主軸の一つとするようになり今日に至っている。非松竹系の市村座の焼失で公演活動の拠点を失ったが、やがて新橋演舞場へ進出し、女方(おんながた)の市川笑也(えみや)が5世河原崎国太郎を襲名するなど、基盤も整備された。また山中貞雄(さだお)監督『街の入墨者』(1935)、熊谷久虎(くまがいひさとら)(1904―86)監督『阿部一族』(1938)など、日活、東宝と提携した劇団ぐるみでの映画出演も注目されるようになった。この結果、37年東京府下吉祥寺(きちじょうじ)(現武蔵野(むさしの)市)に稽古(けいこ)場と集合住宅棟をもつ前進座演劇映画研究所を建設、画期的な集団生活体制を営むようになった。第二次世界大戦中は真山(まやま)青果作『元禄(げんろく)忠臣蔵』の系統的上演を試みたが、「時局物」も上演せざるをえなかった。
 第二次世界大戦後、ただちに『ツーロン港』『鳴神』で再出発。地方巡演を主とした『レ・ミゼラブル』『ヴェニスの商人』などの「青年演劇運動」の功績で1948年(昭和23)朝日文化賞を受賞。49年座員と家族の多くが共産党に入党し話題をよんだ。これによって教育界、興行界からの圧力が強まり苦境にたたされたが、積極的に地方巡演を試み大衆的な支持基盤を開拓していった。52年には翫右衛門が警察に追われて北京(ペキン)に渡り、3年間身をひそめるという事件もあったが、しだいに大劇場での上演も可能になり、『勧進帳』『俊寛』など歌舞伎の上演を軸に、新しい歴史劇の上演、テレビドラマへの出演など、多面的に活躍。創立50周年を機に、82年吉祥寺の稽古場の地に前進座劇場を建設するまでに至った。この間、長十郎が劇団全体と思想的に対立し1968年に除名されるという事件もあった。
 1982年の翫右衛門の没後は、国太郎が第二次世界大戦前からの当り芸『お染の七役』などでみずみずしい舞台を見せ、この劇団の芸術的な力を発揮した。この創立世代の活躍と連携し、彼らの子弟の世代も成長し、翫右衛門の長男中村梅之助が、父譲りの世話物や長十郎の『勧進帳』など劇団の遺産を継承し、リーダーとして活躍。同世代の6世嵐芳三郎(よしさぶろう)(1935― )、嵐圭史(けいし)(1940― )らに加えて、梅之助の息子の梅雀(ばいじゃく)(1955― )のような第三世代の若手も活躍し始めた。伝統的な歌舞伎、新歌舞伎、新劇寄りの歴史劇等を組み合わせた演目を上演することで、演劇界にゆるぎのない位置を占めている。しかし、2001年に創立70年を迎え、新しい観客と、それに対応する新しい現代劇の創造が課題になっている。[祖父江昭二]
『中村翫右衛門著『劇団五十年――わたしの前進座史』(1980・未来社) ▽松山重子著『おとうちゃんは女形国太郎』(1987・新潮社) ▽いまむらいづみ著『夢いっぱい、精一杯――芝居と私と前進座』(1993・新日本出版社) ▽大笹吉雄著『日本現代演劇史 昭和戦中篇』(1995・白水社) ▽嵐芳三郎著『役者の書置き――女形・演技ノート』(岩波新書)』

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