劇団名。歌舞伎(かぶき)界の封建制に飽き足らぬ河原崎(かわらさき)長十郎、中村翫右衛門(かんえもん)、中村亀松(のち鶴蔵)らの俳優が、それぞれいくつかの試みを経て、1931年(昭和6)5月結成。プロレタリア演劇の村山知義(ともよし)、小野宮吉らも変名で参加した。民主的な劇団運営のもとに「広汎(こうはん)な民衆の進歩的要求に適合する演劇の創造」を課題とした。同年6月に村山作・土方与志(ひじかたよし)演出『歌舞伎王国』などの演目で旗揚げしたが、当初は興行的に成功せず、脱退者も出た。32年『仮名手本忠臣蔵』の上演以後、歌舞伎の批判的継承を公演活動の主軸の一つとするようになり今日に至っている。非松竹系の市村座の焼失で公演活動の拠点を失ったが、やがて新橋演舞場へ進出し、女方(おんながた)の市川笑也(えみや)が5世河原崎国太郎を襲名するなど、基盤も整備された。また山中貞雄(さだお)監督『街の入墨者』(1935)、熊谷久虎(くまがいひさとら)(1904―86)監督『阿部一族』(1938)など、日活、東宝と提携した劇団ぐるみでの映画出演も注目されるようになった。この結果、37年東京府下吉祥寺(きちじょうじ)(現武蔵野(むさしの)市)に稽古(けいこ)場と集合住宅棟をもつ前進座演劇映画研究所を建設、画期的な集団生活体制を営むようになった。第二次世界大戦中は真山(まやま)青果作『元禄(げんろく)忠臣蔵』の系統的上演を試みたが、「時局物」も上演せざるをえなかった。
第二次世界大戦後、ただちに『ツーロン港』『鳴神』で再出発。地方巡演を主とした『レ・ミゼラブル』『ヴェニスの商人』などの「青年演劇運動」の功績で1948年(昭和23)朝日文化賞を受賞。49年座員と家族の多くが共産党に入党し話題をよんだ。これによって教育界、興行界からの圧力が強まり苦境にたたされたが、積極的に地方巡演を試み大衆的な支持基盤を開拓していった。52年には翫右衛門が警察に追われて北京(ペキン)に渡り、3年間身をひそめるという事件もあったが、しだいに大劇場での上演も可能になり、『勧進帳』『俊寛』など歌舞伎の上演を軸に、新しい歴史劇の上演、テレビドラマへの出演など、多面的に活躍。創立50周年を機に、82年吉祥寺の稽古場の地に前進座劇場を建設するまでに至った。この間、長十郎が劇団全体と思想的に対立し1968年に除名されるという事件もあった。
1982年の翫右衛門の没後は、国太郎が第二次世界大戦前からの当り芸『お染の七役』などでみずみずしい舞台を見せ、この劇団の芸術的な力を発揮した。この創立世代の活躍と連携し、彼らの子弟の世代も成長し、翫右衛門の長男中村梅之助が、父譲りの世話物や長十郎の『勧進帳』など劇団の遺産を継承し、リーダーとして活躍。同世代の6世嵐芳三郎(よしさぶろう)(1935― )、嵐圭史(けいし)(1940― )らに加えて、梅之助の息子の梅雀(ばいじゃく)(1955― )のような第三世代の若手も活躍し始めた。伝統的な歌舞伎、新歌舞伎、新劇寄りの歴史劇等を組み合わせた演目を上演することで、演劇界にゆるぎのない位置を占めている。しかし、2001年に創立70年を迎え、新しい観客と、それに対応する新しい現代劇の創造が課題になっている。
[祖父江昭二]
『中村翫右衛門著『劇団五十年――わたしの前進座史』(1980・未来社)』▽『松山重子著『おとうちゃんは女形国太郎』(1987・新潮社)』▽『いまむらいづみ著『夢いっぱい、精一杯――芝居と私と前進座』(1993・新日本出版社)』▽『大笹吉雄著『日本現代演劇史 昭和戦中篇Ⅲ』(1995・白水社)』▽『嵐芳三郎著『役者の書置き――女形・演技ノート』(岩波新書)』
劇団。1931年5月,2世河原崎長十郎や3世中村翫右衛門らの歌舞伎界の門閥制度に不満を抱く俳優が,待遇問題に端を発して松竹を脱退,民衆の進歩的要求に適合する演劇創造を目標に掲げて,翌月市村座で《歌舞伎王国》ほかで旗揚公演を行った。37年6月演劇映画研究所を建設して集団生活の拠点をつくり,歌舞伎十八番物,鶴屋南北劇,真山青果の史劇,長谷川伸の大衆劇に劇団の色彩を発揮した。第2次世界大戦後,青年劇場運動で注目されたが,49年共産党に集団入党し,民族文化の改良と創造を唱えた。これを契機に商業劇場から一時締め出されたが,講和後,長十郎の《鳴神》,翫右衛門の《俊寛》,5世河原崎国太郎の《切られお富》,5世嵐芳三郎の《寺子屋》,瀬川菊之丞の《阿部一族》などで旺盛な活動を試みた。67年9月思想的対立から長十郎を除名する事件があったが,79年12月歌舞伎座で創立50年記念公演を行い,82年10月東京・吉祥寺の劇団敷地内に前進座劇場を開場。中村梅之助らを中心に新たな発展期に入っている。
執筆者:野村 喬
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劇団。1931年(昭和6)河原崎長十郎・中村翫右衛門(かんえもん)らを中心に創立。歌舞伎界の封建的体質の打破を打ちだし,共同企画・運営をはかった。映画界にも進出して地歩を固め,第2次大戦後は共産党への集団入党で話題となる。現在も中村梅之助を中心に,歌舞伎から現代劇まで幅広い活動が続いている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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