朝日日本歴史人物事典 「平盛子」の解説
平盛子
生年:保元1(1156)
平安末期の女性。平清盛の娘。関白藤原基実の妻。高倉天皇の准母。従二位。白河殿,八条准后と呼ばれた。長寛1(1163)年3歳の皇子(高倉天皇)を猶子とし,翌年9歳で結婚。仁安1(1166)年皇子の立太子に伴い准三后となるが,同年11歳で夫基実と死別。その際,基実の継子基通(7歳)の養育に当たるという名目で日本最大の荘園領である摂関家領の大部分を伝領したが,これは実質的には平家の横領であった。清盛の勢力拡大策に踊らされた一生を送ったが,24歳で没したときには今度は盛子領を後白河法皇が没収したため清盛の怒りを買い,治承3(1179)年11月の,清盛が後白河法皇幽閉などを強行したクーデタの一因となった。
(櫻井陽子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報