…とくにかつて平家の保護者的立場にあった後白河院とは,清盛の権力集中にともなって対立が深刻化し,1177年(治承1)には院近臣による平家討滅の陰謀が露顕するに至った(鹿ヶ谷(ししがたに)事件)。これを契機に清盛と院とは鋭い対立を見せ始め,79年6月平盛子が死去すると,その遺領を院が没収し,7月清盛の嫡子重盛死去の際にはその知行国越前を院が奪うに至った。そこで同年11月清盛は大軍を率いて福原から上洛し,後白河院を鳥羽殿に幽閉し,院に近い公家39名の官を解いて親平家派の人々をこれに替えた。…
※「平盛子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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